「したいことをしたい」が叶うと幸せなのか?
したいことを、
したいときに、
したいように、
したいだけ、
したい。
それがかなっているときに
「幸せ」
ということらしいです。
気持ちは分かりますけど、
その「幸せ」は
無理があるかなぁって、
私は思うのですよ。
あなたも「そう」思いませんか?
でも、それが幸せだという感覚が潜在的にある訳です。
「潜在的」ってところが悩ましいですね。
知識としては知っているけど、
感覚が「そう」ということですから。
なので、
自覚のないままに
些細な不満が尽きない生き方に自然になっています。
「不満なんかありませんよ」と言うなかれ。
そんなときのあなたは、
関わる周囲は「あなたに不満」ですから。
間違いない。
まぁ私たち凡人は
日常生活で、
「世界」という「枠」の中で生かされている現実を
ときに忘れているからなのだろうなぁって思います。
例えば、
「面倒くさいことはしたいくない。けど、仕方が無いか」
って、過ごしている時間が多かったりするのですよ。
ささやかだけど無くならない不満ですね。
そんなときの思いは
怠け心がかなうと「幸せ」ということですね。
自分がしたいことをしたいようにしたいだけしたいのですから。
それ以外は面倒くさい訳です。
それこそ、
箸一つ動かすことだって面倒なときもある訳です。
そんな生き方で、
今日も朝から晩まで生きているのですから、
本人にとってはかなりのストレスです。
いちいち面倒なのですから。
では、
したいことをしたいときにしたいようにしたいだけしたい
という「幸せ」は、
普段の生活の中で実現するのか?です。
もしかすると少しの時間は実現するかもしれません。
至福の時間という訳です。
でも残念ながら長くは続きませんから、
やはり楽しくないことになりますね。
それだけではなく、
悪いことに、
同じような人がいっぱいの「世界」の中で生きているリアルなので、
「世界」中、お互いにイライラし合って生きることに。
したいように生きていると
周囲の怠けものたちから批判殺到です。
叶っても叶わなくても
まぁ
どちらにしても
幸福度は最低な生き方になるのは必至という訳です。
そして、
「幸せ」を求めてみんなが生きているので
止められませんから。
自分もね。
さてさてどうしましょう?
幸せに生きるって大変なことです。
できるなら
報われる努力をしていきたいですよね。
人生は芸術である、楽しかるべきである。
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