意欲は湧かせられないものです
今日の何気ない会話でのこと。
「意欲が湧かない」
そんなことを話す人が周囲に多くなっていると聞きました。
そして、
自分も含めて話題の人たちもみんな六十代ということに気が付いた訳です。
これは問題です。
「人間の三大欲求というのがありますけど、食欲、睡眠欲、性欲ですね。基本的な生理的欲求とのことです。その欲求が満たされていると意欲が出るらしいですよ」と、
ネットで知った知識をお話ししながら、
ふと、
「初老以降になると、三大欲求って、全部低下したりして」と、
思ったのです。
あら、
私は初老ですね。
大問題じゃないですか!
年齢が上がるにつれて、
食欲も落ちるし、
もしかすると病気になってしまい、
食べられない人も多いかもしれません。
睡眠だって浅くなって、
睡眠薬を服用しているという人も多くなっていると聞きます。
性欲も、上がることは聞いたことがありません。
上がらないですよね?
「あぁ、だから意欲が湧かない訳だ」
と、
妙に納得したことでした。
大問題です。
でも、
初老の我々だけが意欲が湧かないということは無い訳で、
どんな世代もあることですよね。
悩ましいことです。
でも、
自分も含めて周囲を見回してみると
我欲は下がっていないことに気付きます。
あら。
我欲って、湧かせられるんですよね、不思議と。
そして、
我欲で突き進んで生きていると、
案外と我欲が満たされるから、とまらなくなるわけ。
そして、
私の布教師としての経験則ではありますが、
「さびしい人生」がまってます、よ。
あぶないあぶない。
残念ながら、
我欲と違って、
意欲は自分では湧かせられないのですよ。
そう、努力が要ります。
どんな場面でも、逃げずに生きる「努力」をしていると、
後から授かってくるのが「意欲」。
「どんな場面でも」ってところがポイントです。
意欲満々のときって、自分も幸福感があるし
周囲にも喜ばれる言動になっています。
大変だけど楽しいって生き方ですね。
感覚的に言えば、
自分を生かしてくれている周囲の「神」様たちから
喜ばれている感じ。
でしょ?
努力があるときって、
世界中の人はみんな
「神さま!」って自然になってます、よね?
努力があるときは「神」があるんですよ。
当たり前のことなんです。
努力するかしないか。
幸不幸の分かれ目という訳。
「神」に依って、生かされて生きている私たち。
意欲は「神」からの授かりものです。
自分では湧かせられないのですから。
生かされて、芸術生活の喜びに生きられることを
心から感謝して
バランス良く生きようと「努力する」ときに
「湧いてくる」ものなんです。
人生は芸術である、楽しかるべきである。
続きは教会で!