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楽しくないことはしたくない

楽しいことだけ関わりたい。

その気持ち、よーく分かります。

そういう生き方を勧めるネットの書き込みも多くなったような。

危険なことですよね。無責任です。

それじゃいけない!って努力していても、

潜在的に、無意識に、

そうなっているかもしれません。

いや、本能が潜在意識の基本らしいので、

間違いない。

でも、残念ながら、

楽しくないことでもしなければいけない場面が多いです。

ほんのさ細なことでも、

楽しくないことはしたくない訳です。

たまたま、他の人がしてくれたときは、

うれしかったりするのかもしれませんね。

ラッキーって。

自分のことはなかなか分からないものですけど、

目の前に「そういう人」がいると、

何この人って。

要するに、

「自分の普通が世の中の普通ではない」ことの自覚が無いままに、

楽しくない生き方になっているのかもしれません。

難しいもんです。

自由なんですからね、みーんな。

ところで、

「楽しいとき」ってどういうことでしょうか。

「そりゃ、好きなことと関わっているときでしょう」

ですよね。

何で好きになったのかってことです。

最初から好きってことはないでしょうから。

やはり、

「楽しい」って感覚で終えられた過去の経験がある訳です。

でしょ?

なので、

「楽しいとき」って、どういうことかを知るって

幸せに生きるために、結構重要です。

さてさて、

「楽しいときの自分」を見つめ直してみると

誰でも分かることがあります。

それは、

「謙虚な祈り心」で、関わっているときですよね。

え? 何それって?

言葉を変えてみれば、

覚悟をして、

「心を込め心を行き届かせているとき」です。

全身全霊という感じ。

無心なんて言葉もありますね。

無邪気とかね。

そういう感じの心で関わっているとき、

「好き嫌い」は関係ない訳ですよ。

そして、

結果として「楽しい」気持ちで終えられることになるもんです。

そうだったでしょ?

「謙虚な祈り心」が、

どんなことも感謝で受け止めて楽しく生きる心なんですよ。

あらためて考えると

そうだと分かります。

その大切な心を深める方法が

「祈ること」ですね。

祈り心なんですから。

その都度、その都度、

祈れば良い訳ですよ。

覚悟して関われますから。

でも、なかなかできませんよね。

そんな「祈る」ことの経験が無いし、

もしかすると気恥ずかしかったりするからかもしれません。

でも、

信仰するとできるようになります。

祈って生きることが基本だからですね。

祈りたいときに祈れるし、

祈りつつ生きられるから

楽しく生きられるように成長していくのですよ。

実にシンプルなことなんです。

人生は芸術である、楽しかるべきである。

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