見出し画像

学校の働き方改革を「モチベーション3.0」で問う(1)

アメとムチの動機づけは20世紀まで

日本の学校教育が抱えている問題には、教師の働き方改革、子供の不登校、家庭の経済格差による子供の学力格差などが挙げられる。
これらの問題に対して解決のための取組が行われてはいるが、一向にその成果が上がってこない。

私はこれまで、この「リフレク帳(ヒント帳)」で何度かこうした問題について言及をしてきた。

今回は、「教師の働き方改革」について、ダニエル・ピンクの「モチベーション3.0」を用いて考えてみたい。
それによって、子供の不登校や学力格差の問題についても示唆が得られるのではないかと思う。

ダニエル・ピンクは、『モチベーション3.0 持続する「やる気!」をいかに引き出すか』(大前研一訳,講談社,2010)において、21世紀を迎えビジネス界は「モチベーション2.0」から「モチベーション3.0」へと歴史的に移行する必要があることを提起している。
「モチベーション2.0」とは、外的な報酬と罰による動機付けのことで、20世紀のルーチンワークには効果的なマネージメント方法であった。
しかし、創造性や概念的思考が必要とされる21世紀においては、「モチベーション2.0」では成果は期待したほど得られないばかりか、有害ですらある。内発的動機づけを消滅させ、創造性を破壊するとともに、時として反倫理的行動を助長し、依存を生み出し、短絡的な考えを促すという。
21世紀に求められるのは、アメとムチによる外側からの動機づけではなく、内発的動機づけである「モチベーション3.0」であるとピンクは提言する。
その「モチベーション3.0」には、三つの重要な要素がある。
一つは<自律性(オートノミー)>-自分の人生を自ら築きたいという欲求。二番目は<熟達(マスタリー)>-自分にとって意味のあることを上達させたいという衝動。三番目は<目的>-自分より大きいこと、自分の利益を超えたことのために活動したいという切なる願いであるという。

政府の働き方改革は「モチベーション2.0」

この「モチベーション3.0」の三要素を用いて、現在進められている教師の働き方改革を見てみよう。

もちろん、教師の「定額働かせ放題」は問題だ。教師の仕事内容に見合った報酬が公正に支払われなくてはいけない。ピンクも決して報酬が必要ないと言っているわけではない。
また、これまで学校・教師が担ってきた業務内容を見直し、その削減に努めることも不可欠である。

では、報酬をアップ(例えば「残業代」を付ける)して、業務の削減を行うという現在の政府の解決策は、果たして教師の<自律性><熟達><目的>という動機づけを活性化させるだろうか。

答えは否であろう。

中教審は、学校・教師の業務の適正化のために、これまでの業務を「学校以外が担うべき業務」「学校の業務だが教員が担う必要のない業務」「教員の業務だが負担軽減が可能なもの」の三つの観点で分類し検討を加えた(「中教審特別部会の緊急提言」より。以下も。)のだが、この観点で用いられている<担うべき><担う必要><負担>という言葉に明確に現れているように、政府は学校・教師の業務を「上から与えルーチンワークによってこなすもの」と捉えていることがわかる。

その姿勢は、具体的に挙げている業務内容を見ても歴然としている。「登下校対応」・「放課後の見回り、補導時の対応」・「給食費などの徴収」・「地域ボランティアとの連絡調整」や、「調査などへの回答」・「休み時間の対応」・「校内清掃」・「部活動」と、どれも教師の創造性を駆り立てるものではなく、<自律性><熟達><目的>を動機づけとして必要としないものがほとんどである。

ここで注意したいのは、政府はこれらの業務が創造的な内容でないから外部に移譲しようとしているわけではないということだ。
これらの業務は、教師以外の者によっても可能であるから外部に移そうとしているのであって、根本は、「教員が教員にしかできない仕事に専念できるよう“業務の適正化”を目指している」のである。
つまり、「教員にしかできない仕事」、すなわち「教師としてやるべき与られた仕事」に専念することを求めているのである。

だから、緊急提言では、授業時数見直し、学校行事の重点化・準備簡素化、「教科担任制」の前倒しも挙げられている。身も蓋もない言い方になるが、これらは、「いずれもやってもらわねば困る。でも大変でしょうから負担を軽減してあげましょう」という主旨のものである。
もしも教師が<自律性>を発揮し、<熟達>や<目的>を求めたならば、授業時数は融通の利いたものになるのは必然的であり、「教科担任制」が害になる時もあるし、学校行事に打ち込むことが必要な場合もあるのだ。
これまで「内発的動機づけ」によって創造的な教育を実践してきた教師なら誰でも思い当たるはずだ。

しかし、政策にはそうした視点は見られない。
それはなぜか。
当初から、教師の仕事を制度化されたルーチンワークとしてしか捉えていないからである。
前提が、「モチベーション2.0」なのである。

勘違いをされないように急いで付け加えるが、私は、教師の業務削減が間違っているとか不必要だとか言っているのではない。その逆である。教師の仕事が<自律性><熟達><目的>を動機づけにして創造性を取り戻すためには、そのための時間を確保することが、絶対に必要である。
問題は、教師の仕事をどのような視点で捉えた上で働き方改革を推進するかということなのである。
「報酬を上げ業務を削減するから言われたことをしっかりやれ」という考え方で働き方改革を進めるから、その一方で新たな「するべきこと」を「あれもこれも」と現場に要求することになり、結局負担は減っていかないという現状になるのである。

では、どうしたら教師は創造的な仕事に打ち込めるようになるのか。そのことを考える前に、学校現場での教師の仕事に対する捉え方を見てみよう。

長くなったため、続きは次回で。