ノーベル平和賞!今こそSNS!
2024年10月11日、日本被団協がノーベル平和賞を授与されることが発表された。
大変喜ばしいことである。
だが、歴史的な快挙であるにもかかわらず、高揚感が今ひとつ湧いてくることがなく、深い感動にも包まれないもどかしさのような感情を抱いているのは私だけではないだろう。
歓喜のあまり、多くの日本国民が随所で祝杯を上げたとか、川にダイブをしたとかいった話はついぞ聞かない。
「推し」と社会運動とでは質が違うと言われそうだが、それは質の問題ではなく、私達の核や平和に対する心の有り様そのものを表しているのではないか。
私たちは核や平和に対して一定の距離を置いて日々を営んでいると言えそうだ。
例えば、ウクライナやガザで起きていることに対しても、日本が核兵器禁止条約に不参加であるという矛盾についても、どこか他人事に感じていないだろうか。
その関心の薄さは、例えばプーチンが核による威嚇を繰り返したり、イスラエルがイランの核施設への攻撃をほのめかしたりする報道に囲まれる中で、そもそも自分たちもアメリカの核の傘に守られているのだという事実を背景に、諦念にも似たニヒリズムに社会全体が覆われていることに起因しているように思える。
ノーベル平和賞授与が発表されてからまだ数日しか経っていないのに、既にマスコミ報道も先細りしている。
やがて授賞式時にはまた一瞬の盛り上がりを見せるであろうが、いずれ近い内に、受賞の意義はおろか受賞したという事実さえも忘れ去られていくような気がしてならない。
今こういうときこそ、私達はSNSを活用すべきではないか。
日本被団協へのノーベル平和賞授与に対して、自分はどのように考えるのか、誰がどのように語っているのか、世界中の人々との対話へと発展させたい。
「難しいことはわからないが、感想程度なら」で十分だと思う。
反論も大いに述べられるべきだ。かつて佐藤栄作元首相がノーベル平和賞を受賞したとき、議論が紛糾したことを私は記憶している。
受賞の事実を、そのことへの感想を、意義を、そして未来を、大いに議論し、語り継いでいきたい。
もちろん、日本中の教室でこの報道を取り上げたい。
これを教材にせずして、どうして教師だろうか。