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働きマンで どこが悪い?

「あたし達って仕事しすぎかな?」
「何言ってんの
鍛えた筋肉が違うだけよ」
(P.80)

いや―正直しんどいな―
じゃあなんで続けるかって?
………
そりゃアンタ
アレだよ
楽しいから!!
(P.60)

後悔しない仕事をしたい
たとえそれが理想で幻想であっても
(P.72)

働き方改革が喫緊の課題の教育現場で今こんな言葉を目にしたら、呆れられてしまうでしょうか。
安野モヨコ氏の『働きマン明日をつくる言葉』(講談社,2007)から引用しました。
氏の当時の人気コミック『働きマン』からのアンソロジーだそうです。

「時代が違う」と言ってしまえばそれきりですが、心に刺さるという教師もいるのかもしれません。
いや、いてほしいと私は願っています。

業務の効率化はもちろん必要です。
形式だけの不要な仕事、慣習として続けられてきただけの無意味な仕事は、どんどん削るべきです。また、教師としての専門性や創造性を必要としない仕事も他の職種の方へ移すべきです。

「忙しい」から
いい仕事をしてるわけじゃない
「いい仕事」をしたから
偉いわけでもない
(P.43)

しかし、タイパの促進は、教師の仕事の意味を単純化したりわかりやすくしたりするわけではないでしょう。
教員の給与を増やしたからといって、仕事の価値や意義が上がるわけでもありません。
むしろその逆はあるのかもしれませんが。

考えても仕方のないことを
考えていたけれど
仕事を終わらすために
考えるのを止めた
そうすると驚くほど
簡単に片付くのだ
まるではじめから
なかったことのように
(P.13)

教師の仕事をしている限り、「仕事とは何か」「教師の仕事をするとはどういうことか」「教師とは何か」という問いに向かうことを避けて通れないはずです。
働き方改革は、これらの問いを消滅させません。
次元が違うのです。

俺は何をしたいんだろう
何がしたくてここにいるんだろう
この仕事の何が好きと言えるだろう
どこをつくったと言えるだろう
(P.22)

「後悔する」ような
やり方をしてたことに
激しく後悔する
(P.10)

「教師とは何か」を問うことは、「教育とは何か」を問い続けることにつながるように思います。
それは、小手先の技術を使って、子供の点数を上げたり知識の量を増やしたりしている自分の教師としての仕事を立ち止まらせるかもしれません。
聞こえていなかった子供の「声」が聞こえ、見えていなかった子供の「顔」に気付かせてくれるかもしれません。

「働きマン」として自分と向き合うこと、今だって、悪くないのでは?

自分の知らないところで
誰かが働いている
遠くはなれた地球の裏側で
机をへだてたすぐ隣で
知らない仕事をしている
(P.5)