続・学校の働き方改革を「モチベーション3.0」で問う
前回の投稿「リフレク帳 149」の続きである。
教師もまた「モチベーション2.0」に規定されている
働き方改革が「モチベーション2.0」(ダニエル・ピンクの提起した動機づけについての概念。前回の記事を参照。)を前提としている限り、教師の仕事は受動的なものにしか成り得ない。
ただでさえ、教師の仕事はルーチンワーク化しやすい。
そのことは、ピンクの指摘するように有害な事態を引き起こす。
私は「リフレク帳(ヒント帳)47・48」で、教師が成績所見の作成において数パターンの文例を用意したり他の教師が作成した文章を用いたりして、機械的に子供に当てはめている実態を述べた。
それは、多忙化を少しでも軽減したいという教師の苦肉の策であったかもしれない。
だが、教師の仕事とは、本来極めて創造的なものではなかったのか。
所見を紡ぐという行為は、どんな言葉がその子供の学びを意味づけたり、意欲を引き出したり、さらに目的を見出したりすることにつながるのかを、子供の顔を一人一人頭に描きつつ「わくわく」しながら綴ることではなかったのだろうか。
だが、ルーチン化した仕事においては、教育の創造性よりも「手早く業務を終了させること」が優先されてしまう。教師としての責任や倫理への意識が後退してしまうのである。
文科省が運動会の内容を減らすことを提示していることもまったく同様である。
もはや「子供は二の次」なのだ。
また、とある学校では職員会議において、「子供・保護者が忘れ物を取りに来校しても、対応しない」という案が提出されたという(リフレク帳(ヒント帳)46参照)。
その理由は子供の安全確保であるというが、本音は放課後の業務に専念したいためであり、忘れ物をした子供が悪いという発想であろう。
そうでなくては、保護者が子供とともに、あるいは単独で来校した場合は、子供の安全は守られているため、対応を拒否する理由が見当たらないからである。
ピンクによれば、これも典型的な「モチベーション2.0」の発想ということになろう。
このルールを決めれば、結果として忘れ物をした子供・保護者は「罰」を与えられたことになり、次からは忘れ物をしないように注意をするようになるはずだという学校・教師の思惑がそこにあるからだ。
ピンクは前掲書(ダニエル・ピンク2010『モチベーション3.0 持続する「やる気!」をいかに引き出すか』大前研一訳,講談社)において、閉園時刻までに子供を引き取りに来なかった保護者への罰金制度を告知した保育園での調査結果を引いている。その結果によると、罰金を導入した後の遅刻率はそれ以前の二倍に増えたという(pp.84-86)。
それは、子供を預かってくれている保育士との人間的な関係を築くことから、金銭による取り引き関係へ移行することの選択をしたためであるという。
件の学校においても、「放課後に忘れ物を取りに来ることはいかなる場合も禁止」というこのルールを実施したら、確実に保護者や子供の信頼を損ねるであろう。
このようにアメとムチは有害ですらあるのに、学校・教師は「モチベーション2.0」に「支配」されがちなのだ。
その端的な存在が校長かもしれない。
一つの学級だけが個性的な実践をすることを嫌う校長は少なくない。と言うよりも、ほとんどの校長がどの学級、どの学年も「同じ」であることを望む。「足並みを揃え、校内が安定していることが最優先事項」のようなのだ。
つまり、学校現場というところは、「取り組むべきことを黙って粛々とこなす教師像」が求められているのが実態なのだ。
ある学級が、ニワトリを子供と一緒に殺して食べる学習などをしたら、大概の校長は頭を抱えてしまうに違いない(鳥山敏子氏の著名な実践である)。
だから結果として教師も、「モチベーション2.0」を子供に求めてしまう。
「できない子供」には「罰」を与え、「できる子供」を賞揚する教師は多いはずだ。
たとえ本人が自覚していなくても、それも現実である。
「モチベーション3.0」に基づいた働き方改革を
では、どうしたら教師は創造的な仕事に打ち込めるようになるのか。
業務を見直すことは絶対に必要である。
だが、その業務見直しが「モチベーション2.0」の視点で行われる限り、解決にならないどころか、弊害をもたらすことは、ここまでで見てきたとおりである。
そこで、教師の働き方改革を「モチベーション3.0」の視点で行うことを提案する。
学校・教師の業務を適正化するに際して、その業務は<自律性><熟達><目的>というピンクのいう3要素の動機づけを活性化させるものかどうか、果たして、探究心や積極的な意志、創造性が求められる業務なのかそうでないかという観点で分類するのである。
前回の「リフレク帳149」に見た中教審の業務分類は、「モチベーション2.0」の視点によるものであったことを思い出してほしい。
そこを変更し「モチベーション3.0」の視点で分類して、そぐわないものは削減・外部への移譲を行うのである。
したがって、授業準備や学校行事の「削減」は有り得ない。
授業時数は「緩和」し、学校・教師の<自律性>に委ねるのである。
小学校の教科担任制は、実態とねらいに即して自由で柔軟な取組として行えばよい。
もとより小学校の教科担任制とは、「負担軽減」のための「小手先の方法」ではない。「子供に確かな力を育むための教育方法」なのだ。
何よりも求められるのは、教育内容の「標準化」ではない。
子供にも、「モチベーション3.0」を沸湧し育む学習の実現である。
もちろんそのためには教師の定員を増やすことは必要である。
だがそれは、教師が<自律性><熟達><目的>を内発的動機づけにして21世紀の学力をどの子にも育むためであって、「やるべきことをこなす」ためでは断じてない。
そのようにして、教師の真の働き方改革が進むことが、子供にも「モチベーション3.0」を基盤とした教育を行うこととなり、それは新たなオルタナティブに成り得るであろう。
そのことは、不登校や学力格差の解決に向けての有効な一手になると考える。