大雨にも負ケズに登校してくる子供らに無条件に感動していたが
日本各地が次々と梅雨入りしている。
私は、子供の頃、雨降りの日が嫌いだった。
学校の中が随分暗く感じたし、みんなの声が校内に妙に反響して聞こえ、胸がざわついたりした。
そんな思い出が原因かどうかは分からないが、教師になってから、雨の降っている朝でも普段と変わることなく登校してくる子供たちに対して、無条件に感動していた。
私は出張などで学校に出勤しない日以外は、必ず子供よりも早く教室に行って登校してくる子供たちを迎えるようにしていたが、雨の日は特に丁重に出迎えた。
「偉いね。よく学校に来たね。感心しちゃう!」
などと声を掛けてしまい、「当たり前でしょ」という顔を返されていた。
中には、
「家の人に車で送ってもらった」
と説明する子がいても、
「それでも偉い」
などと訳の分からないことを言ったりしていた。
教師人生の後半には、雨の日は、子供たちが濡れた靴下を干すためのハンガーや、ランドセルを拭く雑巾類を必ず教室に用意しておいた。低学年ならば拭きもした。
家からタオルをちゃんと持参していて自分で拭くことができる子もいた。大いに褒めた。自立は大切だ。
びしょ濡れになって来た子は、すぐに体操着に着替えるように指示をした。
せめてこれぐらいはしないと、せっかく登校した子供たちに申し訳ないような気がしたのである。
さて、こんなふうに書くと、もしかしたら私のことを「世話好き教師」に勘違いされるかもしれない。
とんでもない。私は「欲深き教師」だった。
雨の日には、「待っていました」とばかりに、雨を活かした指導をした。
特に、次の二つだ。
①傘の縛り方の指導
傘を傘立てに入れる時に、ネームバンドを巻いて留めていない子が案外いる。
朝の会の後、みんなで教室から傘立てまで行って見てみる。
そして、ちゃんと留めてあると、整頓されていて見た目もいいし、何よりも隣の子が入れやすくなることに気付かせる。
雨の日だからできる指導である。
②雨の日に「みんな」で遊ぶことについての指導
運動場で遊べないからといって、廊下や教室内を走り回らせるわけにはいかない。
でも、読書やお絵描きばかりでは退屈だという子供たちの気持ちもよく分かる。
そこで、教室内でできるゲーム・遊びを「みんな」で行う。
フルーツバスケットや椅子取りゲーム、ジェスチャーゲーム、5W1Hゲームなど多数ある。
学級内に「遊び係」があれば、その子たちの格好の出番である。
宝探しやカラオケ大会などが企画、実行されたこともある。
この時、「みんな」で遊ぶという点に気を配る。
それぞれの子供には「やりたいこと」があるから、「みんな」を強調されるのが「うっとうしい」という子もいるはずである。
その気持は尊重しつつ、でも、
「みんな」で遊ぶのも楽しいよね
ということを感じ取ってほしいとも思う(「欲張り」なので)。
雨の日の休み時間は、その好機なのである。
雨の日の遊びについて、もう一つ、絶好の機会だと考えていたことがある。
それは、
「みんなで遊びのルールを決める」
ということだ。
子供は、読書やお絵描き以外にもしたい遊びがあると言う。
例えば、トランプ、将棋、オセロ、コマ回し、パズルなどである。
これに対して、「トランプを学校でやるのはよくないのではないか」とか、「晴れの日にもやってもいいのか」という意見が出たり、実行していると「この学級ばかりずるい」といった他学級からの「文句」が寄せられたりすることがある。
これがチャンスなのである。
みんなで話し合って「ルールを作る」という学習をすることができる。
場合によっては、児童会を動かして「学校のルールを作る」という学校全体を巻き込むダイナミックな学びへと発展させることもできる。
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ところで、雨の中、傘を差してとぼとぼと学校へ来るのは、子供にとってきっと憂鬱なことだろうと考えていたことは、私の勝手な思い込みだったかもしれない。
というのも、雨の日のこんな子供たちの姿を見たことを思い出した。
差している傘を上下に揺さぶって雨粒を弾いて楽しむ子供。
長靴で水たまりを踏みつけて水を飛ばして遊んでいる子供。
地面に長靴で溝を掘って、雨水の「川」を作っている子供。
みんな楽しそうだった。
雨の日もまた楽し、かもしれない。