#この一文に感動 シリーズ
今日読んだ角田光代先生の
「これからはあるくのだ」
で、とっておきの一文を見つけたので
見てほしい。
角田光代先生は、小学生のとき、要領の良い子供だった。夏休みの絵画の課題も、数日でパパっと終わらせた。そんな彼女は、まなちゃんという生徒が描いてきた絵を見て、まるで絵の中に引きずりこまれたような衝撃をうける。
これはそのときの一文である。
夏の終わりのだだをこねるような蒸し暑さ、草いきれ、日が暮れはじめる直前のさびしさ、乾いたかすかな風に舞う土埃、美術室に座った私を、そうしたものが一瞬にして包み込んだ。
すごい。本当にすごい。何度も何度も読み返してしまった。
この文章のなか、彼女の頭のなかでは、
蒸し暑さ、草いきれ、さびしさ、土埃、「私」は同列である。同じ世界にいるのだ。
夏の終わりの… 土埃が、美術室に座った私を一瞬にして包み込んだ
ではなく、
夏の終わりの…美術室に座った私を、 そうしたものが一瞬にして包み込んだ。
とする。
「が」があると、びゅーんと走ってきたときちょこっと尖った石を踏んだみたいに、少しスピードが落ちる。「私」の前で絵の世界が一瞬途切れてしまう
私のところまで一気に読ませることで、文章に疾走感が生まれ、世界をもっといきいきと表現できる。
そして、読者である私が「私」とともに、本当に絵の中に入り込んでいるかのような臨場感がうまれる。
あー、角田光代ワールド、すごいなー!!
たった一文でこんなに感動したの、久しぶりだ!こんな一文書いてみてーなー!!
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