45分の授業をデザインする  ~若い教師のみなさんと、これから教師を目指す方々へ~

 これまで中学校、小学校の数々の授業を見せてもらって、いい授業だなぁ!と思うものには共通点がある。現在、もちろん研修の時間はあり、先生たちも一生懸命勉強しているけれど、義務的な雰囲気もある。特に部活動などに忙しい中学校現場ではなおさらである。そういった授業論を以前は放課後の職員室や、自主的なサークルの集まりのような場で、時にはお酒など呑みながら、テキトーに、けれど熱く繰り広げることができたが、ブラックだと言われる昨今の学校現場では、良い授業を追究するより、トラブルなく一日を過ごすための仕事が優先されてしまう。そしてみんなが疲れはててるので、どうしても自己研鑽は後回し。それってめちゃくちゃ寂しいことだよなぁ。授業が一番のお仕事なのに。そこでこちらで、お酒も少したしなみながら、いい授業ってこんなだよね、と雑談のつもりでお話したい。

 私が思うすてきな授業とは。

教師が話す時間より、子どもが話す時間の方が長いこと。
 あまり上手でない授業では、教師のムダなしゃべりが多いなぁと思う。その要因の1つは子どもへの指示が一度で終わらないこと。1つの指示や発問の後、きちんと伝わったのかどうか不安になるのか、言葉を少しずつ変えて何度も同じことを話す。普段から1度しか言わないことを心がけてると、子どもの聞く力もつくもの。
  また、子どもの話したことを自分の言葉に直して説明する人もいる。子どもの言葉は宝物。うまく話せてなかったら、違う言葉で話すように促すとか、他の子どもに○○さんの言おうとしてること、助けてあげて、などと言うと、また子どもの言葉でつなげることができる。もちろん正しい言い方、言葉を教えることも大事です。

②教師と子どもばかりでなく、子どもと子どもがつながっていること。
 
これは普段のいわゆる「仲間づくり」ができているかを問われる点である。よい授業では、ある子どもの発言に対し、周りの子たちが「○○さんと同じで…。」「似てるんやけどちょっと違って…。」などと前置きをして自分の意見を話し出す。私は、「なるほどなぁ…」「おんなじや!」などとつぶやきの聞こえる授業スタイルが好きなので、時に規律が崩れてしまいがちですが。どちらにしろ、仲間の思いや意見をしっかりと受け止めている授業はすてき。
 もう一息だなぁと思うのは、子どもが教師に向かって話す授業。一見、教師と生徒がしっかりとしたつながりがあるように見えるけれど、担任教師の授業での役割は、仲間と学習することのメリットを最大限に引き出すことだと思う。一対一の関わりのままでは、集団としての成長がなく、もったいない。
 

教師がまとめず、子ども自身が発見すること。
 
レベルの高い話だなと思うが、小中学校の主役は子どもであり、教師ではないという意識が大切ではないだろうか。例えば国語の授業で、子どもたちにいくつかの質問を投げ掛けながらも、子どもたちの出した意見を生かさず、無理に自分の読解に誘導していくような授業を見ることがある。子どもが考え、迷い、自分の納得のできる方法なり、思いなりに遠回りしながらでもたどり着く、または近づく手助けをする役割でありたい。明らかに違っていれば、それもまた子ども同士で何が違うのかを話し合わせればいい。今流行りのタイパで教え込んで近道させるのではなく、失敗しながら時間をかけて歩ませたい。
 ちなみにこれは、教科の授業のお話。教師が中心となり、人生観をたっぷりと味わわせ、教える時間も学校現場にはたくさんある。だから算数や国語の勉強ばかりじゃなくて、様々な経験をしたり、違った方面の知識を増やしたりすることで、人間性を高めることは不可欠であると思う。
 
 小中の授業は高校や塾とは明らかに違うと思っている。もちろん、「とにかく覚えろー!」と知識をガンガンと注入する時間もあるけれど、それも子どもたちが勉強モードの頭と心になっていれば成果は大きくなる。

 とは言うものの、私自身、「今日はいい授業だったなぁ」と思うのは、正直1年間に数時間である。授業は子どもたちと一緒に作り出すもの。一瞬の空気をとらえ、1つの言葉を拾い上げてつなげていく作業。相手は生き物だから、1つとして同じものはない。だからこそ面白いよね!

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