源氏物語補作「山路の露・雲隠 六帖」読書感想
年の瀬も本格化。
もはや曜日感覚は失われております笑
今年、2024年の大河ドラマは「光る君へ」でした。
枕草子とともに源氏物語も注目を浴びていましたが、ぺけったーで見かけた投稿で、「源氏物語の続編」があることを知りました。
驚いたのは源氏物語、「雲隠」が描かれた巻があるとのこと。
え、あれは巻名だけがあって本文はないんじゃ?! とびっくりしたんですが、よーするに偽書ですね。
紫式部の時代よりずーっとあと、鎌倉時代や室町時代になって、誰かが書いた続編とのこと。
早い話が二次創作。
昔の同人誌です。(←妙にきっぱり)
宇治十帖の続編となる「山路の露」、紫の上死去後(原作の「幻」の続編)の源氏を描く「雲隠れ六帖」、そしてこれは作者がはっきりしている、江戸時代、本居宣長による「手枕」(光源氏と六条御息所の馴れ初め)を収録した本があると知り、読んでおりました。
読了したらまた感想を書こう、と思っていたのですがなかなか時間が取れず、今日になってしまいました。
・山路の露(作者不詳。鎌倉時代初期以降か)
宇治十帖の続編です。(偽書だけど)
紫式部が書いた源氏物語は、宇治十帖の「夢浮橋」で終わっています。
が。
お読みになったかたはわかると思うのですが、あのラスト。奇妙な印象を受けるんですよね。
「え? これで終わり?」
ものすごい「ぶつギレ」感。
紫式部はここで終わる気ではなかったんじゃないの? という印象が強い。
大和和紀さんの「あさきゆめみし」はさすがであって、浮舟の出家をクライマックスにして、きれいにまとめていますが、原作はそういう印象では全然ない。
あそこまで原稿を書いていて、所用を思い出したのでそのまま筆を置いて席を立った、くらいの感じすらある。
まだまだ続ける気だったんじゃないかと思ったのは昔の人も同じだったんでしょう。
この「山路の露」は、夢浮橋の続編です。
原作のあの唐突な終わり方に物足りなさを感じて、つい、自分で書いちゃった人がいたんじゃないだろうか。
とはいえこの「山路の露」も、なんだか妙な筋書きなんですよねえ。
まあ鎌倉時代くらいの同人誌かと思えばそれも仕方ないなという気持ちにはなるのですが。
出家した浮舟は還俗し、薫とよりを戻す。
原作では浮舟はその身分柄のせいで、血筋は良いとはいえ(皇族。女王)薫の妻(妾妻)にすらなれなかったのに、この続編ではそこそこ、重々しい扱いを受け、妻の一人という地位を得ています。
なんだかすんげえご都合主義だな、という印象。
とはいえ同人誌だと思えば、原作の補作というより愛読者の煩悩と妄想垂れ流しであることにはなんの不思議もない。自分も身に覚えがあるので(笑)
むしろこの山路の露の見どころは、薫との関係、薫や匂宮のその後などではなく、浮舟と、娘を失ったと思っていた母君との再会、そこに至るまでの過程かと思います。
薫のこと「なんか」よりも、娘を(しかも自死という形で)失った母親の悲嘆を深く慰めることに、作者が多くの頁を割いている。
他の部分はまるで小説のあらすじのように淡々としているけど、浮舟の母との再会については、案外きちんとしたドラマになっています。
書いた人は。
何よりも、浮舟の母の悲嘆に心を寄せ、これをなんとか救ってあげたいという気持ちがあったのかもしれない。
とすれば作者は女性かな、とも思いました。
作者不詳ゆえ、それもわかりませんけれど。
・雲隠れ六帖(作者不詳。室町時代か)
理由はわからないけれど紫式部が書かなかった部分を、わざわざ書くとは無粋な。
と思いつつも読んじゃうところがファン心理でしょうかねえ(笑)
紫の上なきあと、悲嘆の1年を過ごした源氏が出家を決意するところまでは原作にあります。
この雲隠れ六帖(雲隠、巣守、桜人、法の師、雲雀子、八橋)は佳作とは申せません。
ご都合主義を感じるのは仕方ないとしても——人物造形というところには至っていません。
ただ、雲隠にもし本文があるとしたらどんなものだろう、ちょっと読んでみたいなと思う読者の、淡い妄想、その「想い」を共有できる、とは言えますね。
読んでいて面白いなーと感じたのは、これ、まるで謡曲みたいだな、と。
謡曲、つまりお能ですね。
室町期に書かれたものだとすればそれも納得かもしれません。
もちろん謡曲の様式はとっていないのですが、言葉遣いのせいなのかな。
紫の上の亡霊が匂宮の前に現れるところなどは、完全に(お能の)シテの登場のようだと思いました。
・手枕(本居宣長。江戸時代)
本居宣長って同人誌を書くほどの源氏物語のファンだったの? と思いました。
それまでの時代、源氏物語にはファンも多いがアンチファンも多かったらしく、仏教説話とか勧善懲悪論とかの立場から源氏を論じ、なんだかひどく悪く言われてもきたのですね。
本居宣長はそういう偏見を廃し、勝手な色眼鏡で源氏を非難するのではなく、ただそこに描かれた人間像だけをシンプルに読み取ることを主張したとか。
あまり大きな声ではいえなかったでしょうが、やはりファンではあったのでしょうね宣長さん。
「手枕」は、なんと六条御息所と源氏の馴れ初めを描いた掌編です。
いや別にいいんだけど、そんなに気になるもん? とちょっと驚きました。
原作ではいつの間にやら御息所と情人の関係になっていて、例の、御息所の生き霊に殺されてしまう夕顔の巻においても、はっきりとは六条御息所は登場しない。
やはり彼女が以前の東宮妃であった、というところから、堂々とその関係を描くことは、身分がら、紫式部にははばかられたのでしょうか。
源氏物語後半、「若菜」のあたりからの作風から考えると、書いたのは紫式部ではない、別人ではないかとわたしが疑うのも、それが理由の一つ。
前半では御息所はもちろん藤壺の宮との馴れ初めも情事も、紫の上との初夜さえも、はっきり書かないほどの慎ましやかぶりなのに。
若菜——女三の宮と柏木の、密通描写の無遠慮なこと。
下品だなあ。
というのが若菜以後、宇治十帖にも言えることで、だからわたしはこちらが好きではないのですが。
原作者があえて慎ましく隠したものをわざわざ詳細に妄想して書き起こそうなんてのがもう下品なんだよ、とは思いましたが。
ただ、御息所の持つ背景、出自などがよくわからなかったのを、注釈書を読むように詳細に書いてあるのは、原作の登場人物の理解を深めるのにはありがたいか、とは思いました。
小説としては、まあ別に……って感じ。
文体模写はお上手で、そこはさすがです。
源氏物語を読んで、まだちょっと物足りない、もしくは昔に書かれた同人誌に興味ある、というかたには面白いところも多いと思いますし、真面目に源氏を研究するかたにとっても、原作との比較で発見につながるものがあるかもしれませんね。
以上、「源氏物語の同人誌」読書雑感でございました。
【参考】
「低俗なポルノ」「無類の悪文」と酷評の嵐…「源氏物語」の評価が戦後にガラリと変わったワケ|Infoseekニュース |