『責任者』 〜人生万景〜
デパートの上の本屋で立ち読みしていると、「羽生結弦の本あります?」と如何にも金持ちそうなお婆さんが、本の整理をしていた男性店員(20代前半)に声をかけたのが横目に入った。
意外にも近くに羽生結弦特集というかフィギュアスケート特集みたいなコーナーがあり「あ、羽生結弦が書かれている本はこれと……これ……もですね」とお婆さんに羽生結弦の自伝本みたいなやつと羽生結弦が表紙の雑誌を手渡した。
「ねえ、ちょっといいかしら? こちらの本もこちらの本も羽生くんが書いた本なの?」
「ええと、まあ、はい」
え? そうなの?
「羽生くんがこのページも全部書いたの? 全部? このページも? 本当に?」
こういうとき僕は自然と「やばいやつおるじゃん……」と口に出してしまう悪い癖がある。その声に気づいた男性店員と目が合った。
「あのね、私は羽生くんは書いてないと思うの。喋ったとは思うよ? それを出版社の人だかなんだかしらないけど誰かが文字に起こしたものなんじゃないの? 」
まあ、そうだろうね。
「書いてると思います」
大丈夫?
「書いてるの? 羽生くんが? これ全部?」
お婆さんがページをパラパラとめくりながらまくし立てた。
「書いてるんじゃないですかね」
「この雑誌も?」
「はい」
いや、書いてないだろ。雑誌は特に。
「この広告ページも?」
ほら。雑誌は逃げれんって。
「……ここはさすがに違いますけど」
いや、そこもだけど。他の選手の特集のページも書いてないだろ。羽生くんがわざわざその選手にインタビューしてメモしてカタカタカタカタ文字起こししたんか? 全部ってそういうことで?
「ちょっと責任者呼んで!」
お婆さんが最強呪文を唱えた。
そのときに男性店員が僕の方を見た。めんどくさそうな顔で。どう思います? という目で。いや、こうなるだろ。
「あなた?」
え、ちょっとまって。俺に言ってる?
「……え?」
「あなたが責任者?」
いや、短パンサンダルで立ち読みしよるのが責任者だったらやばいだろ。サングラスを髪の毛の上にちょこんとさせとるで?
「ちがいます」
僕の代わりに男性店員が答えた。ありがとう。っていうか、お前があのタイミングで俺を見てきたからだよ。
「早く責任者呼んでちょうだい!」
男性店員は舌打ちをした。
「あなた今、舌打ちしたわよね? ね?」
最後の「ね?」は僕に訊いてきた。
「しました?」
男性店員に訊いた。答えは知ってるけど。
「してないっす」
したわ。
「もう許せない! 絶対羽生くん書いてないわ!」
そこ?
お婆さんは待ちきれないのか、男性店員を追い越す勢いでレジへと向かっていった。
羽生結弦をテレビで見る度にその時のことを思い出す。
あの男性店員は元気にしてるんだろうか。
4.5転して良い性格になってたらいいんだけど。お婆さんも。