俳句を始めて2ヶ月が経って
今日の気ままに俳句日記は、本当に「気ままに」俳句日記の回です。俳句を始めて、ちょうど2ヶ月が経ちました。なので、初心の頃のことはできるだけ書いておいたほうがいいだろうと、今、PCに向き合っています。
俳句との出会い
私の俳句との出会いは、意外ともう少し前です。2021年の夏に公開されたアニメ映画『サイダーのように言葉が湧き上がる』で、私は人生で初めて俳句に触れました。映画は素晴らしい内容で、直向きな演出が光る青春傑作映画になっています。主人公のチェリーが俳句をやっていて、劇中でも様々な俳句が登場します。俳句甲子園の出場高校の生徒が、その作句を担当していたり、中には摂津幸彦の「感情や少年海より上がりけり」などが引用されたり、ナンパな見た目の割に、かなり硬派な俳句映画です。
私はこの映画で、「俳句カッケェ!」となり、自分でも一時期、見様見真似で作ってみたりしました。けれど、よくわからない。その時、初めて作って、これはいいんじゃないかとスマホのメモに残していた句を紹介すると、「春風や亡き師の靴で散歩道」「夢わすれ越す友の目に山桜」記憶では5日ほど続いたのですが、季語がよくわからん、なんとなく「や」とか入れてみるけど、どんな効果なのかはしらねえ、でもかっこいい、みたいなその程度のやり方でとどまりました。
俳句を始めるきっかけ
きっかけはもう覚えていません。鬱症状で暗く長いトンネルを歩いている中、ふと俳句をやってみようと思えたんですよね。きっとそれは、心のどこかで、上の映画が引っかかっていたからなんでしょう。とりあえず、はじめ方がわからないから図書館に行って、夏井いつき先生の初心者向けの本を片っ端から借りました。その頃は、本を読むのにも、ものの10分で疲れを感じるくらいでしたが、それでも俳句の本はどこか軽い気持ちで読めました。
結果、とにかくやってみようと。下手でもなんでもいいから思いつくままに、とにかくやってみようと。そうこうしているうちに、最初の1ヶ月は200句ほど作っていました。そして、次の1ヶ月は400句を超えました。自分なりに考えはするのですが、特に推敲をするわけでもなく、ただ淡々と心が動いたことを俳句にしていくと、驚くことにどんどん心が上向き始めました。
次第に、俳句のために散歩に出るようになり、俳句のために人と会うようになり、俳句のために遠出をするようになりました、いつでもポケットにはメモ帳を忍ばせて、カバンには角川の文庫版の歳時記を入れていました。とにかく楽しい日々でした。気づけば、本を読むのに苦労しなくなり、夏井先生以外の俳人の本も手に取るようになりました。最近では、北大路翼先生や堀本裕樹先生、高野ムツオ先生の本も読みました。そして、投句サイトにも投句してみるようになり、新たな目標が生まれ始めています。
俳句に出会って
驚いたのは、同世代の反応でした。下手でもとりあえず作った俳句をSNSに投稿していたのですが、まるで私を俳人のように扱ってくれるわけです。「いいですねこれ」とかコメントをくれたり、中には、自分でも俳句を作ってみて、どうですかって私に送ってきたりする。それが面白かったですね。
それからつい先日、私の映画の舞台挨拶があったのですが、俳句を通じて私を知ってくれた方が、上映に駆けつけてくれました。これは、とんでもなく嬉しいことでした。まさか、自分の本業と趣味が、こう繋がって、一人の観客となって戻ってくるなんてのは、想像だにしていなかったので。それに、俳句を初めてひとりぼっちのままだった私にも、心の俳句仲間ができたような気がして、どこか温かい気持ちになりました。
もう一つ、最近嬉しい出来事がありました。私の後輩の三代くんとの出来事です。彼には前作『復讐は囁きにのせて』の主題歌を頼んだ過去があって、そのフルバージョンを今作っているとの知らせ。そのデモが送られてきました。歌詞の中には、私の俳句を見て考えてくれたのだろうなと思うほど、四季折々の単語が散りばめられていて、あぁこういうところでも、自分が俳句を始めたことで影響を与えているんだと、実感しました。彼は今、大学卒業を前にラストアルバムを制作中とのこと。完成したら、また私のPodcastでもガンガン流していこうと思います。
今の悩み
俳句を初めて2ヶ月。今の悩みとしては、自分の上達具合がわからないこと。また、その上達の方策もわからないことですね。もっと上手くなりたい、もっと自分の見た景色を適切に描きたい、そう思うのですが、なかなか難しい。何事にも、師匠と先輩というのは必要なんだろうなと感じています。
投句サイトでは1ヶ月の募集期間の後、発表は1〜2ヶ月後、しかもどこを直せばいいかは自分で考えないといけません。ここに指導が入ることはないわけです。もちろんその結果の如何によって、上達の是非はわかるわけですが、あまりにスパンが長すぎるように感じています。
かといって、俳句結社に入るにはまだ実力が、、、なんて思ったり、そもそもどこにどんな俳句結社があるのかもわからず、実際に俳句結社に入ると、この悩みは解決するのか、そこもわかっていません。でも、どの俳人の皆さんも基本は数年、ないしは十数年、人の本を読みながら独学で成長されているので、すぐに師匠を求めるのも良くないのかもしれません。
また、もう一つの悩みはやはり、季語の選び方。何か景色を見て、心が動いても、どの季語と取り合わせるべきか延々と悩んでしまいます。そのたび歳時記を捲るのですが、結局使いやすい時候や天気の季語ばかりを用いる癖が出ています。もっと歳時記に触れ、季語の知識を増やさないとと思います。そのために、自宅で読む用の歳時記を、この前池袋の大きな書店に求めたのですが、どれがいいのかに悩み抜き二時間、結局何も買わずに出てしまいました。早く、大判の歳時記を買おうと思います。