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病は気から?
具合が悪い。
具合が悪いのにnoteを書いているのは、ただ単に暇つぶしと気を紛らわすためである。
自分の職場で2週間前くらいから体調不良者が続いて出ている。風邪を引いた人、目眩がひどくて家から出られなかった人、電車に乗っていて急に汗が止まらなくなり吐き気を催してしまった人。
異常な暑さは体力を奪い、免疫が落ちる。そこにちょっとしたバイアスがかかって体調を崩しやすくなってしまったのだろう。
自分もなんとか粘っていたのだけれど、ついに限界が来たようだ。
喉が痛くなり、声もなかなか発することが難しかった。お客さんと話すことが業務の大部分を占める仕事だから、結構キツかった。
しかしお盆休みに当番制で出勤していることもあり、出勤人数が少ない。元々、人手不足で誰か1人休むだけでも大変になる。お盆休みは特に1人休むだけでも周りの人々に迷惑が今まで以上にかかってしまう。
声が出ないくらいで、あとは至って悪くない様子だったから多少無理して出勤した。言葉を発していればそのうち喉の痛みも飛んでいくだろうと、楽天的に考えていた。
しかし喋れども喋れども痛みは治まらず、むしろひどくなっていく一方だった。おかしいなと思いつつ、なんとか1日仕事をし終えた。
家へ帰ると急に疲れが押し寄せてきた。普段なら汗を流すためにさっさと風呂へ入るのだが、そんな気力も湧いてこない。
むしろ立ち歩く体力さえも残っておらず、正座の状態で丸まってうーと唸るしかできなかった。
なんとか風呂へ入り、食欲もなくて家にあったおかゆを食べ、風邪薬を飲んで寝た。
次の日の朝、37.5度の熱が出た。平熱が高くないから結構倦怠感があった。
相変わらず喉も痛い。
それでも会社へ行かなければ迷惑がかかる。
いいや。休んじゃえ。
嫌な妄想や幻想は勢いよく切り去った。自分の心身を大事にしよう。
冒頭に、体調を崩してもnoteを書く理由を記した。
暇つぶしと気を紛らわすため。
夏休み前、上司は体調不良者が続いていることに何を思ったのか、無理して会社に来た人にこう言っていた。
「病は気から、って言うでしょ? やっぱりね、メンタルなんだよ」
僕はその言葉を遠くから聞いていて、純粋に怒りを覚えた。
僕は軽々しくメンタルという言葉を口にしてほしくない。
これは僕の偏見なのだけれど、気持ちが強い人は気持ちでどうにかなると思っている。それはあながち間違いではないのだけれど、当てはまるのは気持ちが強い人だけなのだ。
メンタルが繊細で、ちょっとしたことでブレる人の気持ちが分からない人はメンタル、メンタルと事あるごとに取ってつけたように口にする。
少なからず僕は高校生のときに体調を崩していた時期があったからこそ、メンタルの重要さは痛いほど分かっている。
自分では何でもないことが意外とプレッシャーに感じて身体が過剰に反応したり、思い通りに動かなくなることを知っている。
気を強く持ってどうにかなるのであれば、僕も気を強く持ちたい。それがどうしても難しいから、日々の生活の中でちょっとした楽しみを持つ。
お昼ご飯は丸亀製麺で冷やしぶっかけうどん、それも得盛にして、ねぎと天かすを山盛りにして食べる。
家に帰ったら1か月前から楽しみにしていたテレビ番組を観る。そのために定時で帰宅する。
そんな工夫をしながら、ここ1,2ヶ月はなんとか仕事へ行けた。
人と人って本当に分かり合えないよなぁ、なんて当たり前のことを思う。
科学が発展してAIが人間をいつか超える日も近いのだろう。であれば、メンタルメンタル、としょうもない軽口をたたく上司の精神と僕の神経質な精神を交換できるようになってほしい。そうすればお互いの気持ちが分かりあえるはずだ。
いや、お豆腐のように柔らかいメンタルを移植された上司は扱いづらいなと思い、強靭で屈強なメンタルを貰った僕は生きやすいけど物足りないな、と心の中で思うのかもしれない。
なんだか疲れてしまった。具合が悪いときにあーだこーだ考えるのにも体力がいることを知った。