【読了】スマホ脳:時間や集中力をスマホにハッキングされないために
先日、夫の会社の先輩と後輩が、自宅に遊びに来てくれた。
前日からいそいそと部屋を片付け、スリッパを買った。
当日は家族で買い出しに行き、昼前から唐揚げを1キロ揚げ、春巻きを作り、お気に入りのバジルソースでタコを和えた。
夫の後輩にリクエストしてもらったチャーハンのために、ご飯ももちろん炊いた。
夫はいそいそとお酒を並べ、私が料理をしている間は、子どもたちのお世話を焼いた。
義両親以外では、新居ができてはじめてお迎えする客人だった。
私も夫も友達は多くなくこういうことに不慣れで、だけどなるべく気を利かせたいと思うところがある。
ひょっとしたら気疲れして疲れ果てるかもしれないと思っていたけれど杞憂におわり、とても楽しい一日になった。
後輩の男性はヤクルトとリンゴジュースという完璧なおみやげで息子のハートを掴み、最後の豚キムチチャーハンまでよく食べてくれた。
合流したふたりの先輩にあたる女性は話し上手で明るくて、人に気を遣わせないタイプの人だった。夫も彼女も沢山飲んだ。
おまけに彼女が持ってきてくれたタルトケーキはとんでもなく美味しくて、皆でさらにコーヒーを二杯ずつ飲んだ。
正午から始まったそのちいさなパーティは日が暮れるまで続いた。
先輩がこちらの夕食を気遣って「それではそろそろ」と腰をあげたとき、初対面の私まで、なんだかしゅんとした寂しい気持ちになった。
その日は一日中、携帯電話を見なかった。見る必要がなかった。
SNSもニュースもメールもチェックせず、初対面の人たちと心ゆくまで過ごした。
その夜、私は自分のなかに、心地いい充実感やあたたかみが残っているのを感じた。今年はもっと、人と会いたいなあと思った。
◇
そんなふうに人とリアルに会うことにモチベーションが上がっていた中で、以前から気になっていた新書『スマホ脳』を読んだ。
率直に言って、とても良かった。
今まで読んでいなかったことを後悔し、今読めたことを感謝した。
この本の著者は精神科医で、人間の脳はデジタル社会に適応していないということを多方面から明かしていく。
濃度の非常に濃い本だった。
上記のような箇条書きでは、情報も、その説得力も全く表現できていないので、ぜひ本を手にとってほしい。
たくさんの実験結果から導かれるスマホの(悪)影響はどれも説得力があり、かつ、訳文も非常にリズミカルで読みやすい。
何より私自身、思い当たることがあまりに多かった。
「私、このままじゃダメだ……」と本当に身につまされ、あっという間に読了した。
ここ数年、恥ずかしながらスマホに依存している自分を感じていた。
子どもたちが早く寝てくれたとき、静まったリビングで真っ先にするのはスマホを手に取りSNSを開くことだった。
白状すると、子どもたちが起きているときでも、在宅の仕事中ですら、ふと気づくとスマホをスクロールしていた。指が勝手に開いている、というくらいの自然さで。
何をしたいわけでもないのに、SNSを開き、ニュースサイトをみて、メールボックスをチェックしていた。
思考力や記憶力も、低下している気がしていた。
noteを書いていても集中できない。深く考えに沈むことができない。
人と会話をしていても、思ったことを瞬間的に言葉にできない。頭が回っていない感覚が強い。
年齢的なものか、産後のマミーブレインのせいかと思っていたけれど、今思えば、スマホの使い過ぎだったとしか思えない。
寝ても寝ても眠かったのも、一日中スマホを見ていたせいかもしれない。
この数年間の記憶がおぼろげなのも、スマホばかり見ていたからかもしれない。(こうして羅列していくと、なんとツライことか……!)
息子をコロナ禍で出産し、孤独感のある中で始めたSNSがあまりに楽しく(だって同じ月例の子どもをもつママ同士、共感できる話題が山のようにあったのだ)、暇さえあればXを開いていた。
スマホには励まし合えるママたちがいた。
子どもが寝ない、食べない、体調がおかしい、体重が増えない。
SNSの海に不安や困りごとを吐露すれば、励まし合ったり、アドバイスをもらったり、同じ経験への対応を教えてもらったりした。
便利なものや良かったものも、沢山教えてもらった。
また、性犯罪者がいかに身近にいるか、大小の危険からどう子どもを守るか、どの政党に投票すべきか。
SNSにはたくさんの情報があった。
私は必死に情報を集めていた。
(だけどこれもドーパミンに操られていたのかもしれない……)
いや、まずはこう考えたい。
そこで支えられた面も多く、必要な知識をもらった部分も多かったことは否めない。
ただ、子どもたちが成長し、自分も親としての経験を重ね、小さなことで右往左往しなくなるにつれて、違うことを大切にしたいフェーズに入ってきたのだ。
将来子どもたちには、この危険なスマホと節度を持って付き合ってもらいたい。
そのためにはまず自分が、家族や友人との時間を大切に楽しみ、適度に体を動かし、心身ともに健康に、スマホと良い距離感を持つ姿で、子どもの前に存在したい。
ちなみに本の最後にはいくつかのアドバイスが列挙されており、
その一つに「スマホの表示をモノクロにする」というものがあった。
画面をモノクロにするとドーパミンの放出量が減り、カラーの時に比べ、スクロールを止めやすくなるらしい。
(iPhoneの場合は設定アプリから、
アクセシビリティ → 画面表示とテキストサイズ → カラーフィルタ
→「カラーフィルタ」をオンに→グレースケールを選択)
私も試しに設定してみた。
完全なグレースケールだと使いにくさが強かったので、若干色を残してみたが、それでも覿面に効いている。これはおすすめしたい。
画面がグレーになると、スマホへの没入感が一気に減った。
指がついSNSをタップしても、これまでのように世界に入り込むことがない。
冷静な距離感で見ると、そこには興味のない記事や情報も多く、そういうものが溢れているのを確認してすぐにアプリを閉じる、ということが多くなった。
これからはSNSは大切な友人たちの投稿だけをリストで見るようにしたいと思っているし、ネットニュース代わりに紙の新聞をとるのも悪くないかもしれない、とすら考えている。
(ちなみにnoteについては、いまのところ続けていくつもりだ。
シンプルなつくりで、穏やかで依存させにくいこの場所は、本当に貴重だと改めて感じている。)
◇
2025年の年初め。
郵便の大幅な値上がりもあってか届く枚数は減ったものの、それでも数人からはありがたいことに年賀状をもらった。
そこには毎年のように、「また近々会おうね」「子どもたちにも会いたいな」といったメッセージがあり、また私も同じようなことを書いて送っている。
中には毎年、この同じ文言を往復し、そのまま翌年の年賀状を迎える友人もいる。まずはそういったことから卒業したい。
2025年は、ひとに沢山会い、一緒に楽しい時間を過ごしたい。
SNSから知り合った人たちとも、できるならリアルな友人として関係を結びなおしたい。
大切な人たちと一緒にごはんを食べ、お酒を飲み、温かくなればキャンプに行き、あるいは庭で子供たちを遊ばせたい。
ゆったりとした現実の時間をともに過ごし、そのなかでお互いの近況を話し、お互いの人生を彩っていきたい。
私の大事な時間や集中力を、ネット企業に安売りしてはいけないのだ。
そう思わせてくれる濃い本だった。