これ以上「頑張れ」って言わないでほしい
わたしは「頑張れ」と言われるのが大嫌いだ。自分なりに努力しているのに「もっと力を出せ」「本氣を出せ」と脅迫されているように感じるからだ。その背景には幼少期の親の発言や体罰があるとは思うが、いずれにしてもわたしには「頑張れ」という言葉にいい印象がないし、その言葉に苦しめられた思い出しかない。
人は何かの目標を立てたとき、そこに向かって頑張ることが出来る。そして目標をクリアできたとき達成感を得る。その、「つかの間の快感」のために頑張れるとも言えるが、それが「嫌々やらされていること」だった場合、ゴールした瞬間「これ以上はもう頑張れない!」と思う人は多いと思う。
にもかかわらず、これまた多くの場合、そこからまた次の目標を立てて頑張らなければならない日々が始まる。ゴールした瞬間に次のゴールが設定されるのだから「いつまでこんな日々が続くのだろう」と思ったり、なんのために生きているのか分からなくなったりする人も出てくるだろう。
今や学校でも登校拒否の子どもは多いと聞く。うつ病と診断されて働けない人も多数いるそうだ。彼らは心が弱いとか、甘えているとか言われがちだが、わたしはそうは思わない。
一生懸命頑張ったけど、期待に応えようとしたけど、周りと足並みを揃えることができなかった。ゆっくりやれば追いつけるのにそうさせてもらえなかった。だからもう無理! となってしまっている、ということではないか。
「○○歳なんだからこのくらいは出来て当たり前」というのは発言人の、あるいは社会の理想であって現実は異なる。だから過度な期待はしないのが双方のためだとわたしは思うが、皆さんはどう考えるだろうか。
いま、わたしたちに求められているのは「頑張ること」ではなく「その人らしく生きること」だと思っている。頑張れない人に言う「頑張れ」が、時に凶器になることを知ってほしい。
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