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「家族」について真面目に考えてみる①

あなたにとって「家族」とはどのようなものでしょうか?
「家族」と聞いてどんなイメージをするでしょうか?

一つ屋根の下で暮らす人々、
父、母、子などの血が繋がった者同士……。

私はそんなイメージを持っていました。そして、「家族」について何の疑問も持たず、また考えることもなく生きてきました。

しかし、今回執筆中の小説「あっとほーむ~幸せに続く道~」で家族を描くにあたり、まじめに「家族」について調査、考察するに至りました。

いろいろな家族

先日、出かけた先で「ああ、こんな家族の形もあるのかぁ!」と思い知らされた出来事を二つ紹介します。

とある観光地の写真スポットで順番待ちをしていた時のこと。前に並んでいた中年夫婦と思われる二人のうち、女性が撮影される側になってカメラの前に回りました。

にこやかに微笑む女性がカバンの中から取り出したのはなんと、「ダッフィー人形」

そしてその人形とともに一緒に写真に収まったのです。おそらく、あの人形は女性にとって大切な「家族」なのでしょう(あくまでも私の推測です!!)。

もう一つはその帰り道での出来事。これまた中年夫婦らしき男女が一匹ずつ犬を連れて散歩している姿を見た時。先ほどと同様に「ああ、わんこも家族の一員だよなぁ」と思い、微笑ましく眺めていたのでした。

このような光景を見るとやはり、「家族」といっても様々な形があるのだと思い知らされるわけです。そして私はひねくれた物書きなので、どうしても「理想化されていないほうの家族」を描きたくなってしまう……。

私が今回「あっとほーむ~幸せに続く道~」で描こうとしているのは「30歳年上の両親の友人と、11歳年上の従兄を愛する16歳の女子高生が彼らと家族を形成する」というもの。

人によっては「なんて常識外れな!」と思うでしょうが、彼らは真剣に悩み、真剣に愛し合おうとしています。それを「ただのフィクション」と揶揄やゆしたり「一般的ではない」という理由だけで片付けないで、ぜひ一度読んでみて欲しいと思います。

↓一話はこちらから↓


江國香織の「結婚&家族考」

ここからは、読んだ著作から「家族」について考察していきます。

「いくつもの週末」は、江國香織氏が結婚して2~3年の頃の私生活をエッセイにしたもので、出版されたのは1997年ですが、結婚すること、家族を持つことについて非常にわかりやすく論じています。

世の中の、結婚している(あるいはしたことのある)たくさんの人たちが、結婚について多くを語らないのはなぜなのか、自分がしてみてようやく分かった。蜜のように幸福で、惜しくて言いたくないわけでは勿論ないし、だからといって辛苦にみちていて、憂鬱でいえないわけでもやっぱりない。単純に、みんな口をつむぐしかないのだ。その結婚があまりにも特殊で個人的で、偶然と必然がねじりパンのようにねじれていて、説明不可能な様相を呈していて。

「いくつもの週末」P98

上記の一節を読んだとき、「結婚の形も一つじゃないんだ」と妙に納得しました。何だか世の中には「理想の結婚」というものがある様な気がしていたけれど、どの夫婦も「特殊で個人的」で「説明不可能」な暮らしをしている。江國香織がそれを見事に「言語化」してくれたおかげで、自分たちの夫婦生活もこれはこれでいいのだ、と安心できたのです。

 いま思うと、私はなにもかもに疑心暗鬼になっていた。もともと疑い深い性質なのだ。それに加えて結婚というのはあらゆる恋人から根拠を奪うので、どうしたって疑心暗鬼にならざるを得ないのだ。
 たとえば一緒に暮らす前ならば、夫が会いにきてくれるととても嬉しかった。会いにくるということは、私に会いたいのだなとわかったから。でもいざ一緒に住みはじめると、夫は毎日ここに帰ってくる。私に会いたくなくても帰ってくるのだ。そのことが腑に落ちなかった。ばかばかしいと思われるだろうけれど、どうしても腑に落ちなかった。

「いくつもの週末」P106

「家族とは何か?」について調査していた時に出会い、非常に考えさせられた一節です。会いたくなくても帰ってくる、なるほど確かに……って感じだったんです。「じゃあ家族って何?」と。これについてはまだ答えが出ていません。今後、現在執筆中の小説の中で模索していきたいと思っています。


哲学者・宮野真生子氏の「家族考」

 愛し合うこと、家族になること、公的に認められること……。この3要素はすぐに結びつくものだろうか。恋というと、プライベートな問題・領域なのに、結婚・家族となると役所に書類を出し、公的な証明を求める。「恋/愛」や「性」というプライベートな事柄は、「家族」へ接続する時、ある変化を被る。「好きな人とずっと一緒にいたいから結婚する」実はこの言葉には変化が伴っているのだが、私たちが気づくことはほとんどない。

宮野真生子 <エッセイ・愛>

宮野氏が指摘しているように、その変化には私も気づきませんでした。「ずっと一緒にいたいから結婚する」を疑わなかったからです。しかし考えてみればその通りで、結婚しなくても一緒にいることは出来る……。今回の小説では、家族のあり方として「共同生活」を重要視しているのは、このエッセイに影響を受けているためです。

(上記の江國香織エッセイのP106の一節を引用したあとで)
 恋人同士には愛がある。では家族には何があるのだろう。家に帰ってくるのはここしか帰るところがないからで、「愛」ゆえではないかもしれない。「家族」だから帰ってくる? だとしたら、それはなんて束縛だろう。私は「家族」という名でパートナーを縛っているかもしれないことに戸惑い、怯えた。一体、家族って何なの。

宮野真生子 <エッセイ・家族>

家族とは束縛ではないか……。そこに戸惑い怯えていたという宮野氏。哲学者は注目する点が違いますね。愛がなくても家があるから帰る、というと何だか寂しい気もしますが、私は、「家」とは、その人にとって「安らぐ場所」を意味すると思っています。少なくとも、その家に一部屋であっても「自分の居場所」があるわけですから。

あなたにとっての「家」はどのような場所ですか? 「家族」とはどんな存在ですか? これを機に考えてみるのもいいですね😊


今回は、家族について最近新しく得た知識を中心にお伝えしました。今後、考察を進めるうちにまた新たな発見があったら、記事にしたいと思っています。その時はまた読んで頂けると嬉しいです🥰


「家族」について真面目に考えてみる② も投稿しています!
よろしければ、こちらもご覧下さい🥰

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いろうた@「今、ここを生きる」を描く小説家
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