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【脱・報連相】何でもかんでも報告しない、ということ

少なくとも、私の親きょうだいは報告し合う。結婚し、家を出て久しいというのに、である。近況報告することを否定したいわけではない。嬉しい報告ならいくらでもしていいとも思う。しかし、そのような出来事は滅多にないから、氣付けば随分連絡を取っていないなと言うことは、私の場合、良くある。

だからといって、調子が悪いだの病氣になっただのと言った報告をするつもりは一切ない。それには以下のような理由がある。

私自身、人生観が変わる三十歳頃までは、自分はもちろん家族が病氣になったら報告していたし、「○○を買った」とか、愚痴も時々言っていたと思う。ところが、ある本のワンシーン(確か、飛鳥井千砂か、辻村深月だったと思うが失念)を読んでから、親に報告するのを控えるようになった。

成人したというのに、「飲み会で遅くなるから」と席を外してまで母親に連絡をする女友人。それを見た主人公が疑問と苦言を呈する、というものだった。

それ以前は、上記の女友達のようなことを当たり前にやっていた私は衝撃を受けた。しかし主人公が冷静に「いい年になった女が母親にいちいち、今日の出来事を報告するなんて……。もしかしたらセックスしたらそのことも報告するのかしら?」(のような内容だったと思うけど、記憶違いだったらスミマセン💦)と考察しているのを読み、「確かにそうだよなぁ……」と自分の言動や行動を改めるに至ったのだった。


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よくよく考えてみれば、調子が悪いと報告したところで遠方の親が駆けつけられるはずもないし、返ってくる言葉は大抵「不節制したからじゃないの?」などのネガティブなもの。心配は二の次であることが多いのは分かっている。まぁ、親は心配するのが趣味なのだと最近氣付いたので、余計な心配をさせないという意味も含めて、余程のことがない限りは連絡しないことにしている。ましてや愚痴は論外。こちらの話など聞きもせず、自分の愚痴を差し込んでくるのは分かっている。

また、私はほとんどしないが、友だちに「○○買ったんだー」と他愛ない話をする感覚で親からその手の報告をされることもある。それはSNSにも散見されるのかもしれないが、リアルで会ったときのおしゃべり感覚でメールするのはいかがなものかと、私は思っている。


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つまるところ、人は自分のことを知ってほしいのだろうと思う。自分のしたことに自己満足できないから、誰かに承認、共感してもらいたいのではなかろうか。

私はと言うと、周囲の人よりは自分のことを自分で処理できていると思っている。私の中にはたくさんの「小説キャラという名の友人(細分化された私)」がいて、悩み別に寄り添ってくれるからだ。上記のまとめも独白ノートに書き綴った際に出てきたもの。私の想いや疑問にきちんと答えてくれる彼らの存在は私にとって、なくてはならないものだ。


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報・連・相は大事だと教わったし、ビジネスではそれを基本とするところもあるだろうが、「今、これを伝える必要があるだろうか?」と、考えてみるのも大事だと思う。自分の発言を受けて相手が返事をすると言うことは、相手の時間を自分のために使ってもらうことに他ならないのだから(逆もまたしかり)。


呟き程度であっても、自分の発言には責任を持つこと。
それは将来、自分に返ってくると自覚することが大切!


※大型台風が接近しています。ここ、岡山は直撃コースなので万全の備えをしておこうと思っています💦次回、無事に皆様と繋がれますように!
↑ こんなことを書いたけど、投稿できなくなったら、さすがにご報告します💦


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いろうた@「今、ここを生きる」を描く小説家
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