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どうしてほしいのかは聞いた方が早い

人にするその行動は、
“本当は自分がして欲しいこと”なのかもしれない。



わたしは、
落ちるところまで落ちて、
立ち上がれなくなる。



こういうときに私は、
「どうしたの大丈夫?」と
声をかけて欲しいのかもしれない。
と、納得する部分があった。


ゆっくりと、
頭の中のゴチャゴチャを話すから聞いてほしい。
「うんうん」ってそれだけで良い。
何も言わずにそばにいてくれるだけで良い。


しかし現実はそんな優しくない。

気落ちしている人間というのは、
側から見るとどうにもめんどくさい人間に見える。

無条件に距離を置かれる。
関わりたくないのだろう。


距離を取られるたびに、思う。

この人にとっての私は、たくさんいる知り合いの一人で、簡単に切れる程度なんだろうなと、
思ってしまう。


「大丈夫!」と返事をしても、
大丈夫じゃないことがある。
それを知っているし、
私自身もクセで大丈夫と答えてしまうことがある。

もし、この人が私と同じで
大丈夫じゃなくても、大丈夫と言ってしまう人だったら。

言えないだけかもしれないから、と、
私は鬱陶しいほど心配してしまう。




逆に、

善意で、距離をとる人。
それは面倒に関わりたくない保身か、
あるいは本気で相手を思っているのか。
私とは違う考えだから、
正直、わからない。


人にする行動は、
本当は自分がされたいという理論に当てはめると、
この善意で放っておく人間は、
自分が落ちた時に放っておいて欲しいし、
その方が回復が早いと思って、
最善の行動(放っておく)を行なっている可能性が出てくる。



いや、わからないけど。
善意で放っておく人いるのか。
疑問だけども。

私が「心配すぎてしつこくしてしまう」と
相談した憧れの女性は、私に
「優しいね、そんなの放っておけば良いのに。」
と言っていた。
関わりたくない保身か、
本気で相手を思っているのか。
どちらか判断がつかないが、
どっちだったとしても
放っておく選択をとる人なのだろう。


人にしてほしいことが、
相手のしてほしいことは限らない。


どの選択をしても、
人に寄り添えるようになりたい。

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