人が去っていく理由と「成功者」との関係性
マキノタイチです。
あなたは「読者さんを喜ばせたい」という目的でnoteに投稿していますか?
私は「少しでもあなたのお役に立てれば」という目的で投稿してるのですが、ときにこの「目的」が歪(ゆが)んでしまうことがあります。
今回は、どんなに崇高な目的をうたっていても、目的が知らないうちに歪んでいると、その人を「痛い人」にしてしまい、人がどんどん去っていくというお話です。
では、このお話を分かりやすくたとえるため、恥を忍んで(若い投稿者が多いnoteで)私の年代までバレてしまうような痛い失恋話を暴露します。
ポケベルが流行っていた若い頃の話です。
当時、20代前半のマキノは、カッコつけのナルシスト野郎でした。
なので、そのとき付き合っていた彼女の誕生日に、彼女を驚かそうとディナークルーズを予約したのです。
それはとても人気がある企画で、予約をとるのが大変といわれていました。
彼女の誕生日は週末と重なっていて、予約が殺到することが予測できたのですが、電話ではなく、直接旅行代理店に駆け込むことで、なんとか予約ができ「やったぁ!」と思わずその場で声を出して喜んでしまいました。
さらに、それ以外のサプライズも用意していました。
実はクルーズ当日、私は花束を隠し持って、出航する港の駐車場の手前で、彼女を50分前から待っていたのです。
目的は「彼女に喜んでもらいたい、驚かせたい」ただそれだけです。
なので、お金の面もバイトの時間を延長し、がんばって工面できたのです。
しかし、彼女はなかなか到着しません。
だんだん心配になってきました。
出航時刻はどんどん迫ってきます。
彼女のポケベルに何度も連絡してしまいました。
「移動中だから返事はできないか・・・」と、わかってはいるのですが、船は待ってくれないのでため息が出てきてしまいました。
心配だった気持ちは、時間と共にイライラに変化してきて、そうこうしているうちに最終乗船時刻となってしまったのです。
「嘘だろっ・・・」
がっかりするのと同時に、私の心には怒りの感情が込み上げてきてしまったのです。
その15分後、彼女は泣きそうな顔をして到着。
遅れた原因は・・・
彼女は車で来ようとしたが途中事故があって渋滞、さらに、まさかのポケベル充電切れ。
トラブルが重なりに重なったわけです。
私は彼女を責めてしまいました。
「電車だってあるのにさ、なんで車なんかで来るの!?ポケベルだって毎日ちゃんと充電しとけばいいだけのことじゃん!」
怖い顔で声を荒げてしまい、充電切れも責めてしまいました。
彼女は涙をこぼしながら「ごめんなさい、ごめんなさい」と、くり返し謝ってきました。
ここでハッと我に返ったマキノ。
「ヤバい!今日は彼女の誕生日じゃん、泣かせて謝らせてどーすんだオレは・・・」
私は気持ちを落ち着かせて彼女に言いました。
「悪い、怒っちゃってゴメン、別のところにいこうか・・・」
「・・・・・・」
時すでに遅し。
彼女はごめんなさいをくり返し、今日はもう帰りたいと言ってきました。
私は心底ヤバいと感じました。
今日の目的は「彼女に喜んでもらう」ただそれだけ・・・それなのに、最悪の誕生日にさせてしまったのです。
彼女だって好きで遅れたわけじゃないってことを、当時のバカ男はすっかり忘れて、自分の感情に任せた言葉を連呼してしまった。
こともあろうにバカ男マキノは・・・
最も望んでいた「彼女に喜んでもらう」を忘れ、大切な彼女を責めた。
結果、喜ばせるどころか深く傷つけた。
そう自覚できたとたん「オレって取り返しがつかないことしちゃったかも」と、ゾッとするような危機感を感じはじめたのです。
その日はそこで別れて終わりでした。
しかし、それからしばらくして2人の関係も終わってしまったのです。
「私はマキノくんにはふさわしくない」
これが彼女の別れの言葉でした。
「そんなことない!」
こんな私の言葉など彼女にはもう届きません。
その後、彼女からの別れの言葉を思い返し「違う、ふさわしくなかったのはオレだったんだ・・・」と妙に納得できる答えにたどり着けました。
自分の情けなさがこみ上げてきて苦しくなりました。
苦しくなったのですが、結果、落ち込みながらもこの出来事は自分を見直すキッカケとなったのです。
~気づけなかった歪(ゆが)んだ目的~
当時のバカ男マキノは「彼女を喜ばせたい」という目的をちゃんともっていたのですが、結果的には彼女を深く傷つけたわけです。
さらに、別れにまで発展してしまったのですが・・・
何でこんなことになったのかと、その時は真剣に悩んだわけです。
悩んだ結果、マキノタイチという男は、別のことでも「同じ理由」で失敗をくり返していたと気づけました。
「オレって、いつもその場の感情に支配され、同じような失敗をやっちゃってたんだ…」
ということをです。
確かに、その場の感情や衝動に負けて、状況を台無しにしてしまうことが、若いころのマキノにはよくあったのです。
だから目的が果たせない。
目的がいくら素晴らしくても、自分の感情や衝動に負けてしまい、望むこととかけ離れた結果にたどり着くという経験が多々あったんです、自分には。
深く反省したのですが・・・
さらに、その後もっと重大なことに気づいてしまったのです。
それは、そもそも「目的」自体が歪んでいたということでした。
私はゾッとしました。
なぜなら、私のホンネの目的が【彼女を喜ばす自分に満足したい】【彼女から感謝されもっと好かれたい】【いい男だと思われたい】という、ただの自己満足目的だったと気づいてしまったからです。
表の目的は「彼女を喜ばせたい」・・・
でも本音は「自己満足したい・感謝されたい・もっと好かれたい・いい男と思われたい」という超自己中な歪んだ目的を隠し持っていたのです。
これが腑に落ちたとき、心の底から情けなくなりました。
情けなくなっただけでなく、自分の気づきに自分が傷つき、深く心に刻みこまれた出来事になったのです。
深く心に刻まれたこの出来事は・・・
私が独立してビジネスを始めた後にも、目的を考えるときの座標となり、さまざまな気づきとなって視野を広げてくれています。
~本当は誰のため?~
私はセミナーなどではよく「スポットライトはお客さんに当てなくてはならない」と、お話しさせていただきました。
これは
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自分の感情にはとらわれず、お客さんの感情だけに焦点を当てるのがビジネスでは最も大切なこと
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という意味が含まれています。
実はこれって、多くの人が解っているけどなかなかできないことでもあります。
人間、誰しも自分が可愛い。
しかし、本当にビジネスで成功する人は、この壁を乗り越えられた人だと感じますし、実際私がお会いしてきた「成功者」と言われる人たちは、この壁などとっくの昔にのり越えられた方たちばかりでした。
~シンプルなゲームに参加している私たち~
私だけでなく、noteに記事を投稿する多くの人は、自分が負けないとポイントが得られないという「シンプルなゲーム」に参加しています。
オンラインでもオフラインでもできるこのゲームには「攻略するコツ(攻略法)」があり、公開してくれています。
その「攻略するコツ(攻略法)」とは・・・
・このゲームは、自分が相手に勝つとポイントがもらえません
・このゲームは、自分が「こうしたい」と思うと儲かりません
・このゲームは、ライバルがいませんがいるとしたら自分です
・このゲームは、ラッキーや偶然がありません
・このゲームは、誰に対しても平等にチャンスがあります
・このゲームは、続けることが「最終的に勝てるコツ」です
・このゲームは、簡単なのに参加者の多くは攻略法を無視します
・このゲームは、負けるが勝ち(価値)なのです
さて
このゲームとは一体何かと言いますと・・・
BUSINESSというゲームです。
私はビジネスの師からこう教わりました。
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与える、まずは自分から与える。
本当に価値のあるものを、毎日人に与えようと心がけるのです。
そう考えると、すべてが変わります。
「思った以上にいいサービスを受けた」「タイムリーによい話を聞けた」そう思ったとき、お客さまは気持ちよく財布を開いてくれます。
マキノさんは負けでいいんです。
「お客さまに勝とう」なんて思わないでください。
ビジネスはお客さまとの戦いでもなく、ライバルとの戦いでもありません。
ビジネスは、自分が「負ける」ゲームなのです。
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ビジネスでは、自分が主役になろうとすると、フラれたときの私のように歪んだ目的をもってしまい、本来の目的が達成できません。
しかし、本物の成功者である師がおっしゃったように
自分が負けて「お客さまを主役にする」ということができたとき、歪んだ目的は、本来の意味をとり戻せるのだと思います。
私は恋愛の失敗からこのようなコトを学びました。
成功者である師は「お客さまを喜ばす」という目的の軸が歪んでいないので、成功できたと思います。
とはいえ、私は「凡人」です。
どうしても自分がかわいくて、主役になりたくなってしまう自分が今も時々顔をのぞかせます。
そんなとき、この心に深く刻みこまれた出来事を思い出します。
実は、今回こんな投稿をしたのも、主役になりたがっている自分に気づいたからに他なりません。
この投稿は、戒め(いましめ)ですね、自分に対しての。
お付き合いくださりありがとうございました。
P.S.
★デイリーマインドセット.4
本来の目的が「相手」に本当に向いてるかをいつも刮目(かつもく)せよ
(※刮目・・・目をこすって よく見ること、注意して見ること)