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[短編物語] 雲と ヨーロッパ・スターリング

家にいずらくなり、手ぶらで外出した。無人のバスケットボールコートの上に、紫に近いピンクの雲の帯が広がっていた。一瞬、「あぁ、夕暮れ時なんだ」と思ったけれど、考えてみれば、そちらは東側の空である。頭上を見上げると、透明セルリアンブルー。昼間の空のよう。西側の空は、灰色と白の混じった薄い雲で覆われている。6月なので、ニューヨークで、太陽は8時過ぎまで沈まないはず。見回しても、太陽の姿は、見えない。

ピンクの雲の様子を、写真に撮りたいと思うのだけれど、携帯電話を持っていない。確か、6時ごろだと思う。他に、この不思議な光景に気づいている人はいるのかと、周りを伺うと、まばらに歩いている人はいるものの、誰も空など見てもいない。この雲は、私が一人で目撃することになりそうだ。

普段より、人の気配の少ない通りを渡って、不思議な色の雲の方向に向かって歩き出す。バスケットボールコートを抜けた先には、少し広めの公園がある。空の雲は、相変わらず、ピンクの帯状だが、少し、濃い灰色や紫の部分も増えてきている。

小さな子供用の遊戯場と噴水のある公園につくと、母親と女の子が二人、自転車の練習をしている。子供用の、これもピンク色の自転車に、小学校低学年の女の子が得意そうに乗って、あたりをグルグル回っている。もう一人の、5歳くらいの子は、補助輪のついた自転車を、お母さんに押してもらいながら、ゆっくり姉を追っている。どうも、この子の自転車は、大きすぎるようで、足が地面につかず、子供は、うまく乗りこなせないため、苦労している。

明るいのか、薄暗いのか、はっきりとわからない光の中、ベンチに座って、親子を見ながら、雲の色の変化を見逃さないようにする。世界で私しか、この雲に気づいてないのだろうか。徐々に、グレイに近い紫の部分がピンクにとって変わってきている。なんとか、この親子に、空で起こっていることに、注意を向けてもらいたいのだが、私などいないかのように、自転車の練習に集中している。試しに、大きい方の子供が近くに来た際、「その自転車かっこ良いね。」と言ってみるが、どうも英語がわからないようだ、無言で、あっちに漕いで行ってしまった。

しばらく、雲の様子や子供達の自転車練習を見ていたが、飽きてくるのも早い。そろそろ、帰ろうかと思い始める。外で無駄に時間を潰すのが自分にとって良いのか、家にいるのが良いのか、迷う。いつものことだ。

迷いながら、ふと、背後の小さな芝生を見ると、黒っぽい鳥が5羽ほど、一心に餌を探している。スズメよりも大きく、丸っこい茶色か黒か決めかねる色の鳥である。芝の上の黒い塊に見えるが、動いているので、鳥とわかる。可愛くない鳥だこと、などと考えていると、中の一羽が、首をあげ、こちらを向ている。一瞬後、そっちの方から「あほー」と言う声が聞こえる。どうも、この丸っこい鳥が、言葉を発しているようだ。

日本語がわからるようなので、
「あんた、何て名前の鳥なの」と聞いてみる。
「お前、知らんのアホか。何年、ニューヨークに住んどんねん。スターリング、ヨーロッパスターリング。」と、トゲトゲしい口調、しかも高音で返してくる。
「ふーん。」
そのスターリングと言う鳥は、数回、忙しそうに、地面を突いた後、こちらを向いて、
「お前、行くとこないやろ。ホームレスか、暇そうに座って。」と、言ってくる。
「ホームレスじゃないよ。ちゃんと、あるよ。家。」と、気分を外しながら、言うと、
「じゃ、帰れば。空の調子も変やろ。」と、鳥は空を、嘴で仰ぐ。
「ピンクだよね。」 と、私。

そのヨーロッパスターリングは、こちらに向かって、二度ほど飛び跳ねて近づいてくる。よくみると、濃い茶色に白い模様が少しあり、紫っぽい羽も混じっている。
そして、「ところで、お前、ニューヨークどう思う。」と、少し小声になって、聞く。
「さぁ、いいんじゃない、家賃が高いのが嫌だけど。」と応えてから、
「それより、なんで、空、ピンクになっちゃってるの。」と聞いてみる。彼なら、知っているかもしれない。
「そんなん、知るか。だいたい、ピンクなの、空じゃない、雲がおかしいんやろ。アホか。」と、喧嘩ごしである。そして、
「何かの、前触れかもな。」と、一転して、低い声になり、付け加える。
「何の。」と、私が聞くと、それには、応えない。

そして、「俺ら、スターリングは、ここが嫌いなん。大体、俺らは、もともと、ここ出身じゃないわけ。100年ちょいに、どっかのあほ人間が、イギリスから、俺らをカゴに入れて連れてきて、放しやがったんだよ。セントラルパークに。」
そして、また一歩、私に近づき、
「それが、俺らの悲劇の始まり。こんなとこで、生きてく羽目になったわけ。今じゃ、俺ら、2億の大所帯。どう言うわけか、人間どもは、連れて来ておいて、俺らの存在に、なんの感謝もない。害鳥とか、呼ぶ奴までおる。ほんと、人間ってアホ。」
と、私のことを、じっと見つめている。

「ふーん、それは、災難だったね。」と、私は、言ってあげる。

親子連れは、少し私から離れたところで、自転車の練習に忙しい。空は、ピンクの雲が段々、濃い灰色になり、今では普通の雲になりつつある。

ヨーロッパスターリングは、すでに、私に興味を失ったようで、地面を突いている。
「そろそろ、帰るわ。気をつけてね。」と声をかけるが、反応はない。
私は立ち上がって、家に向かう。


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