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【古事記】国生み〜100倍面白くなる小ネタ7選〜解説編

国生みは神話として語り継がれていますが、神話は、実話を言い方を変えたり、神格化にしたり、物語風にしたものと言われています。
要するに、神話は、実話が形を変えたものと言えます。
そんな実話だったのでは?と思ってしまう、国生みが さらに面白くなる小ネタを7つ紹介します。

まだ、前回の国生みのストーリを見てない方はコチラもどうぞ


1.天の沼矛あめのぬぼことは?

イザナギとイザナミが国作りを行うときに別天津神から貰った天の沼矛あめのぬぼこ
海に突き刺して「コオロコオロ」と混ぜるとオノコロ島が出来た、天の沼矛あめのぬぼことは、いったい何を表現しているのでしょうか?

いくつか説がありますので紹介します。
それにしても、「コオロコオロ」って擬音。クセが強い!


≪天の沼矛 権力の象徴説≫

当時、金属は貴重なモノだったので、そんな金属が使われている矛を持っている人は地位の高い権力者だったと推測できます。
単純にほこや剣などの武器は、力の象徴として扱われることが多いです。

また、日本書紀にほんしょきでは、天の沼矛のは、たまという漢字が使われています。

日本書紀の表記:天之瓊矛あめのぬぼこ

たまは、宝石を意味する漢字でもあるので、宝石が付いている矛であったとも考えられます。
まさに、権力者が持っていそうな矛ですよね。


≪天の沼矛 海底火山の噴火説≫

海底火山が噴火して、その時のマグマが固まって島や陸地ができることもあります。
最近でも小笠原諸島おがさわらしょとうの近くで海底火山が噴火して、新しい島が出来たとニュースでやってましたね。

だから、古代の日本人は、神様が矛で海底を刺して海底に穴を開けて火口が出来て島を作ったと考えて、それを神話にしたのかもしれません。
確かに、海を混ぜるだけなら、マドラーのような先の尖っていない棒状の物で十分ですもんね。
わざわざ、矛にしているのは、海底を刺すためと考えると納得できます。

それから、天の沼矛あめのぬぼこ
沼のさんずい:海。刀は矛。
口は海底火山の火口 or 海をかき混ぜる様子 を表現しているのかもしれないですよね。 


2.天の浮橋あめのうきはしとは?

古代の日本は、神は虹を渡って地上に降りてくると信じられていました。
古事記では、天と地の間にある天の浮橋あめのうきはしにして、書いたと考えられます。

神社にも太鼓橋たいこばしという、急な勾配こうばいになっている橋があります。
この太鼓橋は、この橋の向こうは神聖な場所であることを意味するものです。
太鼓橋と虹の形は、どちらも急な勾配なこともあり、なんだか天の浮橋あめのうきはし太鼓橋は、関係が深そうですね。

雨上がり、太陽の日差しが差し込んで出来る虹は、神秘的で神が虹を渡ってくると考えるのも自然な気がします。


3.天の御柱あめのみはしらとは?

古代の日本では、岩や木や山などの自然に神が宿ると信じていた自然崇拝しぜんすうはいをしてました。
この神が宿る神代かみしろの代表が「木」であり、いつしか神の単位が「柱」となりました。
天の御柱あめのみはしらも、神代としての意味を持っているのかもしれません。
なんせ、日本の神様は、神様でも神頼みするので不思議ではありません。

現在の神社でも「柱」は神聖なものですが、神社にも特別扱いされている柱があります。

例えば、伊勢神宮には、心御柱しんのみはしらと言う特別な柱があります。
どんな柱かと言うと、この心御柱は本殿の床下にある柱なのですが、本殿を支える役割を持っていません。建築上まったく役割のない柱です。

設計ミス?
いいえ、そんなことはありません。
この心御柱は、一般の人どころか、神社の関係者でも限られた人しか、見ることができない、超特別扱いされている柱です。

なぜ、特別扱いされているのか?
その理由も明確には分かっていない、謎に満ちた柱なのです。

伊勢神宮の他にも、長野県にある諏訪大社すわたいしゃには、特別な柱。御柱おんばしらがあります。

この御柱は、7年ごとに開催される御柱祭おんばしらさいの時に、わざわざ諏訪大社から離れた山で約10トンの巨木を切り倒し、山の斜面を駆け下り、川を泳ぎ渡り、そしてようやく諏訪大社すわたいしゃに建てられる特別な柱です。

何か特別な意味がありそうですが、御柱祭が始まった由来・理由は分かっていません。

天の御柱あめのみはしらにも神代以上の特別な役割を持った柱なのかもしれませんね。


4.オノコロ島って、何処にある?

イザナギとイザナミが初めて作ったオノコロ島
その後に作られた、淡路島あわじしまや四国や他の島々は、現在の日本地図を見れば、どこにあるかは一目瞭然。

でも、オノコロ島は、日本地図を探しても見当たりません
オノコロ島は神話の世界だけの空想上の島なんでしょうか?

ところがどっこい。
古事記の終盤に登場する仁徳天皇にんとくてんのうは、こんな歌を詠んでます。

我が国見れば、淡島、オノコロ島、檳榔あぢまさの島も見ゆ さけつ島見ゆ

この歌には、ハッキリとオノコロ島が!
これはオノコロ島があったと思ってイイよね!
では、いったい何処にあるのか、色んな説があるので紹介します。


≪オノコロ島 淡路島説≫

淡路島には、自凝島おのころ神社という神社があります。
他にも淡路島には、天の浮橋と言われる場所伊弉諾神宮いざなぎじんぐうと言う神社もあります。
国生みのストーリに関係する場所が多数あり!

でも、国生みのストーリでは、オノコロ島、水蛭子ひるこ淡島あわしま、淡路島、四国…の順に生まれました。
これだと、オノコロ島と淡路島は、別々の島と思いますよね?

しかーし。古代の世界は、今より海面が高かったため、丘の上にあるおのころ神社は一つの島となっていたと考えられています。
現在は、当時より海水面が下がり、おのころ神社は、淡路島の一部のように見えているだけかもしれません。

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≪オノコロ島 沼島ぬしま説≫

沼島ぬしまは、淡路島の南側にある小さな島です。
この沼島にも、おのころ神社があり、さらに、おのころ山と言う山まであります。
また、上立神岩かみたてかみいわという岩で出来た柱があり、この岩こそが天の御柱あめのみはしらと言われています。

また、沼島には下立神岩しもたてかみいわという岩もあり、昔は穴の開いた形をしていて、上立神岩かみたてかみいわが男性器下立神岩しもたてかみいわが女性器に見れました。

イザナギとイザナミが、身体の一部が足りないところや余るところがあると会話していましたが、この2つの岩に関係ありそうですね。

ちなみに、下立神岩しもたてかみいわは昭和9年に崩れて、現在は穴が開いた形になっていません。

オノコロ島は、天の沼矛あめのぬぼこを使って作られた島ですが、天の沼矛のは、沼島のことを示しているとも考えられます。

先ほど、沼はたまと書くこともあると紹介しましたが、たま勾玉まがたまを示すこともあり、沼島の島の形が勾玉に似ています
また、勾玉は胎児をモチーフにしていると言われており、始まりの島であるオノコロ島に相応しいエピソードですよね。

ちなみに、沼島を左から回ることを男回りと言います。
逆に右から回ることを女回りと言います。
結婚式でイザナギとイザナミが天の御柱あめのみはしらを回った方向と全く同じです。

沼島の近くには、有名な鳴門の渦潮があります。
この渦潮をみて、古代の人は神様が海をかき混ぜて、島々を生んだと考えたかもしれませんね。


≪オノコロ島 隠岐の島 島後とうご説≫

隠岐の島おきのしまは、島根半島の日本海にある島です。
この隠岐の島には、島前とうぜん島後とうごと大きく2つの島に分類されます。

隠岐の島の島後とうごには、ローソク島と言われる岩があります。
このローソク島が、天の御柱あめのみはしらとも言われます
また、島前とうぜんの形が五角形島後とうごの形が六角形に見えます。

隠岐の島おきのしまろく → おきの五と六 → おのころ島
となったのではと考えられます。

また、島前とうぜんは、島前三島とうぜんさんとうと呼ばれる3つの島で出来ており、それぞれ3つの島には当然、名前があります。

一方、島後とうごは、1つの島で構成されていますが、島自体に名前はありません
島後とうごは、あくまで分類であり、名前ではありません。
名前のない島。何か秘密がありそうですね。

古事記では、隠岐の島おきのしまのことを「隠伎三子島おきのみつごのしま」と書いています。隠伎三子島おきのみつごのしまの「三子島みつごのしま」は、島前三島で出来ている島前とうぜんを示しており、島後とうごは含まれていないと解釈できます。
そのため、オノコロ島は、隠岐の島おきのしま 島後とうご と考えられます。

つまり、古事記では、日本の島々は、隠岐の島 島後(=オノコロ島)が生まれ、淡路島、四国、・・・ 隠岐の島 島前(=島前三島)の順に生まれたかもしれませんね。

また、隠岐の島 島後には、マントルゼノリスと言って、地殻の下にあるマントルが顔を出している貴重な場所でもあります。
天の沼矛を刺したら出来上がったオノコロ島の描写とリンクしますね。

隠岐の島。「隠」という漢字が使われていて、何か秘密が隠されていると勘ぐってしまいますよね。


5.天の御柱あめのみはしらを回る意味

イザナギとイザナミは、結婚式で天の御柱あめのみはしらを回る行為。
この行為には、どんな意味やメッセージが込められているのでしょうか?
夢想花」が好きなだけ。

古事記では、イザナギは「左から回る」と書かれています。
「左から回る」とは「反時計回り=右回り」です。
イザナミは、その逆です。

ややこしッ!

《天の御柱を回る意味 陰陽道説》

陰陽道おんみょうどうとは、この世の あらゆるものは、よういんで構成されていると考えられていました。
例えば、陽は、太陽、男、左、先、動、火、南、外 など。
陰は、月、女、右、後、静、水、北、内 など。

この陽と陰は、相反する性質を持ちつつ、元々、1つのもので、表裏一体で混ざりあっているものです。
そのため、陽と陰の2つが調和して、安定した秩序あるものが保たれるとの考えがあります。

イザナギとイザナミの結婚式では、
天の御柱を男のイザナギは左から回り、女のイザナミは右から回っていました。
イザナギの回り方を「右回り」「時計回り」とは書かずに、わざわざ「左回り」と書いたのは「左」を取り入れるためかもしれません。
これは、陰陽道を取入れ、調和と安定を願った結婚である意味を込めたのかもしれませんね。

《天の御柱を回る意味 日本列島の成立ち説》

日本列島は、学問上①~③のステップで出来たそうです。

①約6000万年前、日本列島はユーラシア大陸の一部でした。
ところが、約2000万年前では、ユーラシア大陸の端っこが千切れて、日本列島の「元」が出来ました。

➁日本列島の「元」は、東へ移動しながら、日本列島の西側は右回り東側は左回りに回転しました。
両方が反対方向に回転したので、日本列島はボキッと折れて、2つに分断されました。
この分断された大きな溝のことをフォッサマグナと言います。

③フォッサマグナの場所で、海底火山が活動して、海底が盛り上がってきたり、砂や石などが堆積しました。
そのため、分断された日本列島は陸続きとなり、現在の日本列島の形となりました。

イザナギとイザナミが天の御柱あめのみはしらを回ったのは、➁の日本列島が回転による分断を表現していると考えられます。

また、イザナギの「俺の余った所を足りない所を塞いで国を作ろう」と言うセリフは、「余った所」は海底火山を、「足りない所」はフォッサマグナを、「塞ぐ」は砂や石の堆積を表現していると考えると納得できます。

先ほど、「天の御柱とは?」で紹介した諏訪大社は、フォッサマグナの上にある神社です。
もしかしたら、古代の日本人は、フォッサマグナを中心に日本列島が回転してことを知っていて、その回転を止めるため御柱おんばしらを立てていると思うとロマンがありますよね。

そーいえば、奈良県明日香村あすかむらに、いつ、誰が、何のために作ったのか不明な「亀石かめいし」があります。
この亀石には、不思議な言い伝えが残っています。

言い伝えによると、現在、亀石は南西を向いていますが、それが西向きになったら奈良盆地は泥沼になるようです。
この言い伝えは、何を意味しているのか謎のままです。

他にも亀石の言い伝えでは、元々、亀石は東側を向いていたようです。
つまり、亀石は、現在、東から南西に向きを変えています。

あれ?回転方向が右回り。
偶然かもしれませんが、日本列島の西側(=フォッサマグナより西側)は右回りに回転したのと一致しますね。


6.水蛭子と淡島

水蛭子ひるこ淡島あわしまは、「良くない子」であったため、子供の数にカウントされませんでした。

国生みは、たくさんの島々が生まれるストーリです。
そのため、水蛭子ひるこ淡島あわしまも島だったと思います。
でも、水蛭子と淡島は、波や風などで削られ、消滅した島 や 地殻変動により海に沈んだ島 を意味していると考えられます。

また、水蛭子は、「海に流した」と書かれていますが、淡島については「海に流した」と書かれていません。
もしかしたら、淡島は、潮の満ち引きにより、現れたり、姿を消したりする島で、流れ切れてなかったのかもしれません。
ただ、常に「島」の形をキープできなかったので、カウントされなかったのかもですね。

「オノコロ島はどこ?」でも紹介しましたが、仁徳天皇にんとくてんのうの歌では、「淡島」が詠まれています。
一般的に、この淡島は「淡路島」を指していると解釈されますが、もしかしたら、子供にカウントされなかった「淡島」を見た、仁徳天皇が詠んだのかもしれませんね。
淡路島の名前も、「淡島の次に生まれた島」だから、淡島 → 淡路島 となったとも考えられます。

また、淡島については、静岡県沼津市に淡島と言う島があります。
古事記編纂当時は、まだ関東方面は制圧していない地域でした。
そのため、淡島は、よその国の島としてカウントしなかったのでしょうか?
よその国のことを、わざわざ古事記に残すのも不思議ですね。
それにしても、静岡県沼津市とは。
また、「沼」が関係してきましたね。

ちなみに、水蛭子は、後に七福神の恵比寿ゑびす様と同一視され、日本中で広く信仰される神様になります。
水蛭子ひるこ蛭子ゑびすも、漢字で書くとメチャクチャ似てますよね。

7.イザナミから声を掛けたのがダメだった理由

昔なので単純に「結婚は男がリードせよ!」と言う、メッセージかもしれませんが、わざわざ神話に入れる?

何か他の理由もありそうです。

《イザナミから声を掛けたのがダメだった理由 陰陽道説》

本日2回目の陰陽道。
陽には「先」、陰には「後」の性質もあります。
陰の「女」のイザナミが、「先」に声を掛けたことにより、調和が乱れたことを表現していると考えられます。

そのため、調和を整えるため、2回目の結婚式では、女のイザナミが「後」に声を掛けて、国生みがスムーズに出来ました。

《イザナミから声を掛けたのがダメだった理由 母音説》

イザナミが先に言葉を発したら失敗。
これは、言葉は母音が先だと発せられないことを意味していると考えられます。
例えば、「か」と言葉を発音する場合、
「k」父音 + 「a」母音 だと発することが出来ますが、母音が先だと「か」と発することは出来ません。

日本には言霊ことだまと言って、言葉に霊が宿ると信じられています。
良い言葉を使うと良いことが起こる、悪い言葉を発すると悪いことが起こると言われてきました。
それだけ、言葉には力があり、言葉は大事なものです。
言葉を使うには、父音が先で母音が後に発音する必要があることを示しています。

1回目の結婚式で、母音にあたるイザナミが先に発言して、父音にあたるイザナギが後に発言したのが、良くなかったのは上手く発音できないことを神話化したのだと考えられます。

神社でも御祈禱ごきとうしてもらう場合、神主さんがお祈りするとき、神に告げる言葉として、祝詞のりとを唱えます。
神に お願い事 や 感謝 を読み上げます。
やはり、言葉にします。黙読もくどくはしません。

ヨハネ福音書でも、「初めに言葉があった」から始まります。
やっぱり、「言葉」は、それほど力もあり、重要なものなのですね。

皆さんも、言霊ことだまの力を信じて、良い言葉、ステキな言葉を口にしましょう。
まずは、手始めにコメント欄にステキな応援コメントとかを書いておくと、良いことあるかもですよ!(笑)


それでは、また。

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