![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/159807920/rectangle_large_type_2_6177b60ef56650e638f34b491621223e.jpg?width=1200)
心を育てる。
ある時までずっとずっと、長い間、
壊れそうなギリギリをなんとか保っていたわたしの心。
大きな風船が膨らみすぎて弾け飛んだように、
手が滑って床に落ちてしまったグラスが
音もなく砕け散ってしまったかのように、
ある日、粉々になってしまった…と思った。
だけどそのとき思い出した、わたしの心は
もうすでに遠い昔に粉々になっていたのに、
その粉々たちを無理やりくっつけて、
なにもなかったふりをしてきたんだった、と。
そんなことすら、長い間忘れたふりをしていたのか。
だけどわたしは、子供の頃も、このときも、
粉々になったことを誰にも言えなかった。
それから2年ほど経った頃だろうか、
わたしは自分の心を、砕ける前じゃなくて、
張り詰めてしまう前の小さい小さい、
赤ちゃんみたいな心に戻してあげたいと思った。
そのとき既に、30代も半ばを超えていたけれど。
赤ちゃんに戻った小さい小さい心を、
いちから育ててあげたいと思った。
粉々をただ寄せ集めただけならば
さらに脆くなっていたかもしれないけれど、
ひとつひとつ拾い集めた破片そのすべてと
ゆっくりじっくり、長い時間をかけて、
ひとつずつ手に取って向かい合ってきた。
そうしていくうちに、本当に少しずつだけど
自分の「心」を好きになることができた。
砕け散って粉々になったそのひとつひとつと
向き合ううちに、自分にとって何が大切で
何がそうでなかったのか、何を隠して、
何に怯えて、何に感謝していたのか、
本当は何が苦しくて何が嬉しかったのか、
どれだけ自分の気持ちに蓋をしてきたのか、
初めて、理解してあげることができた。
今でも弱々しいものではあるけれど、
少しずつ強く穏やかに育っていく自分の心が
大切なものだと、ようやく思えるようになった。
ときに人は、他人に優しくするよりも
自分に優しくすることが難しいときもある。
他人には笑顔を向けられても
自分自身には笑顔を向けられないことがある。
誰のことも責めないでいる努力をしながら
自分を責めてしまうことがある。
自分の一番の味方は自分しかいないのに、
自分で自分を大嫌いだと思ってしまうことがある。
砕け散って貼り合わせたつぎはぎだらけの小さな心は
この何年かをかけてゆっくり少しずつ育ってきた、
これからもゆっくりと少しずつ育っていけばいい。
(もうアラフォーなのに?)
(未熟な心で焦らないの?)
いやいや焦らなくたっていい、
もうアラフォー?まだアラフォーだバカヤロー。
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/159807949/picture_pc_3fe35c205c4b9ab3f90944c8347f0916.png?width=1200)
それではこの辺で。
今日も1日おつかれさまでした。
最後まで読んでくださってありがとう。
また気が向いたら、来てくださいね。
いいなと思ったら応援しよう!
![いろ](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/162475611/profile_618647e0685493559055afcf27dbfb51.png?width=600&crop=1:1,smart)