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イメージと現実の弁別

現象学的に見て、イメージと現実は異なるものなのだろうか。

たとえば目を閉じていて、くしゃみの音が聞こえたとする。
そのとき、明証的に現われるのは主に以下の二つである。

・その音そのもの
・くしゃみをした人がそこにいるイメージ

このとき私は「くしゃみをした人がそこにいるかもしれない」と推測をする(その推測も明証的な現われ)が、それは同時に「可疑的だ」と判断する。
なぜならそのくしゃみをした人は「イメージとしては現われたが、現実としては現われていない」と感じているからである。
イメージではそれは人間の見た目で現われたが、現実ではスピーカーの見た目かもしれないし、何も見えないかもしれない。
つまり、この場合私はイメージと現実のあらわれを別物として捉えているのである。

イメージとして確かにその人は現われていたが、現実としてはその人は現われていない。このような時に我々は「実際には」という言葉で、イメージをあくまで虚構とする。つまり、イメージと現実を弁別するだけでなく、現実こそが我々の生きる本拠地であり、真実であるとする。その理由は「放棄できるかどうか」の違いにあるのではないかと考えているが、それはまた別の機会に。

また現実とイメージのどこに違いを見出しているかの議論も進めていきたい。いまのところ棄却可能性やそれに関連した恒常性、他には所与性や流動性などを考えているが、、


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