もろとも

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最近の記事

孤独感が大きい

    • メタ・現実学

      現実をやっていくとは、どういうことなのか。 それは一つには、単に生活をするということである。 生活の中で得られる端的な実感でもって現実の姿を捉えること。 誰かとの時間を大切に思ったり、物の質量を確かに味わうことだったりする。 二つ目は、現実に手を加えることである。 すでに確固たる現実としてできあがっているものを抽象化(マテリアル化)したり、または新たな現実の素材とすること。 この中には実体験をもとに半空想的なフィクションを書いたり、VR的に実質的な現実感を感じさせる体験を

      • 棄却可能性

        前回は「イメージと現実の現われは弁別しうる」という話であった。それは何によって見分けられるのかということだが、まず候補の一つ目として「棄却可能性」を検討してみたい。 ここでの「棄却可能性」とは、「現われを棄却することができるかどうか」という意味である。 その意味で、イメージの方が棄却可能性が高く、これによって私たちはイメージと現実を見分けているのではないかということだ。 これはつまり、イメージの現われが仮に現実のそれと違ったときに、イメージの現われを棄却できるということで

        • イメージと現実の弁別

          現象学的に見て、イメージと現実は異なるものなのだろうか。 たとえば目を閉じていて、くしゃみの音が聞こえたとする。 そのとき、明証的に現われるのは主に以下の二つである。 ・その音そのもの ・くしゃみをした人がそこにいるイメージ このとき私は「くしゃみをした人がそこにいるかもしれない」と推測をする(その推測も明証的な現われ)が、それは同時に「可疑的だ」と判断する。 なぜならそのくしゃみをした人は「イメージとしては現われたが、現実としては現われていない」と感じているからである

          私は今

          私は今パンを食べている 私は今猛烈にパンを食べている 私は今猛烈に粛々とパンを食べている 私は今猛烈に粛々とパンを食べた気になっている 私は今パンが気になっている 私は短パンが気になっている 私は短パンのガキになっている 私はタンバリンの楽器になっている

          「わからなさ」でも、「説明不可能性からくるなんでもありえるかもな説明」と「じっと見つめたときにそれ自体がつかめない感覚」は関連があるものなのかどうなのか

          「わからなさ」でも、「説明不可能性からくるなんでもありえるかもな説明」と「じっと見つめたときにそれ自体がつかめない感覚」は関連があるものなのかどうなのか

          現時点での調査方法 意味→手話など多様なモーダルの言語、非言語思考 リアリティ→事例収集 身体→VR 現れ-感じ→日記

          現時点での調査方法 意味→手話など多様なモーダルの言語、非言語思考 リアリティ→事例収集 身体→VR 現れ-感じ→日記

          リアリティのこと、身体のこと、意味のこと、それと現れ-感じについて書きながら考えていきたいですね

          リアリティのこと、身体のこと、意味のこと、それと現れ-感じについて書きながら考えていきたいですね

          喪失を忘れる

           あの怖れのような、肺の内側で乾いた風が唸るような喪失を忘れてしまった。それからしばらくして感じていた、生きていた頃より近くにいるような感覚も、今はない。きみは、いま、ぼくのなかに生きていない。それが悲しいことなのかももう分からない。僕にはきみのことを悲しむ権利があったのか、未だにこうしてきみのことを書ける文脈の中に僕がいるのかはわからない。もしかしたら全ては僕の悲劇願望なのかも知れない。きみのお父さんやお母さんは怒るだろうか。僕はきみのことを消費しているのだろうか。成人式の

          喪失を忘れる

          知り合いのいないSNSがひとつ減ってしまって精神的に少しきつい

          知り合いのいないSNSがひとつ減ってしまって精神的に少しきつい

          ダンス作品、完成まで長すぎてアイデアの鮮度が持たない かと思えば時間足りない

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          歩き方を探ってるうちにどこに行きたいのか、そもそもどこかに行きたいのか分からなくなるっていう人間あるあるをしてる

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          知るために、感じるために作りたい...

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          今年学んだことは「年末年始は休日ダイヤ」 来ないバスを40分待ってたの悲しすぎる

          今年学んだことは「年末年始は休日ダイヤ」 来ないバスを40分待ってたの悲しすぎる

          自己紹介兼備忘録

          確かに思えることの不確かさが好き。 例えば視覚は大部分が予測で、外部からの実際の入力は少ないとか、それによって錯視が起きたりするとか、じゃあこれと似たようなことが全般的に起きてて、私たちの知覚の外部にとんでもない世界が広がってるんじゃないか、そうじゃない証拠が無いじゃないかってこととか、記憶って確かにあるように思えるけど、その感覚が今あるだけであって実はこの瞬間にその記憶が作られててもおかしくはないよなってこととか、それなら記憶を前提にしてる時間の知覚とかこの意識って一体な

          自己紹介兼備忘録

          自動作曲ソフトのテスト版を使わせてもらっているのだけど、なんだこれは…凄すぎてもはや私要らないんでは…喰われる…

          自動作曲ソフトのテスト版を使わせてもらっているのだけど、なんだこれは…凄すぎてもはや私要らないんでは…喰われる…