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コンソメスープの思考


考えを「寝かせる」とか
アイデアを「寝かせる」
などと言う。
発酵させるとか
熟成させるとか
そういった意味なのだろうか。
どちらかというと
料理的な意味の「寝かせる」に近い気がする。

そう仮定すると
寝かせるにあたって
下処理が必要になる。
なにかしらの調理や味付け。

思考やアイデアを寝かせるために
その材料がなんなのかを知る必要があるのか。

例えば。
玉ねぎとにんじんとじゃがいもと肉を切って、鍋に入れておくだけじゃカレーにはならない。炒めて味付けして煮込んで、寝かして、ようやくカレーである。
きゅうりをそのまま置いていても漬物にはならない。塩を塗して、ぬか床に入れるなりなんなりしてようやく漬物である。
イワシをそのまま置いていても腐るだけだ。塩をたっぷりかけて、ようやくアンチョビやら魚醤やらになる。



これと同じことが言えるなと思う。
今ある思考やアイデアの
材料の性質を知らなければ
寝かせておいても腐るだけだ。
炒めるのか
煮るのか
下味をつけるだけか
漬け込むのか。
発酵させるのか
熟成させるのか
馴染ませるのか
扱いやすくするのか。

なにを作りたいかにもよる。
作りたいものに合わせて調理するのか
それとも自然にまかせて置いておくのか。
下処理や調理は変質させるものではなくて、よりその素材を活かせる状態にするというようにしておかねばならない。

そのためには
シンプルでそのままの材料を知らないと
どうもこうもない。
フライドポテト用のじゃがいもで肉じゃがを作るより、男爵芋で作った方がほっくりする。グズグズのじゃがいもがいやならば、メークインを使えば良い。



今自分が考えていること。
それはどのような性質を持つものなのか。
このままだとクセが強すぎてまとまらないものなのか、それともあっさりしすぎてぼんやりしてしまうものなのか。
そんなことをまず選り分けて
寝かせるなら適切な処置をして
寝かせないならどこかに埋めておけば
もしかして種が芽吹くかも。
ちいさくてまだ生きているなら
放ってしまうという選択肢もある。
クズになったものは干して
スープをとるといい出汁が取れるかも。


などと
昨日カレーを作っていて考えた。
言葉や雰囲気は、こうして煮込んだ思考や意識の渦から生まれ出ているのかもしれない。
何を選ぶのか、何を選ばなかったのか
そんなことがすべて煮込まれて
時には苦く
時には旨く
時には酸っぱく
時には甘く
人となりをつくりだしているのか。

家に帰る時に
どこそこからする夕ごはんの香り。
そんなイメージ。

私はいつか
コンソメスープのような思考を持ちたい。
アクの下に覗く澄んだスープのように
奥深く繊細な味を持つスープのように
材料を知り尽くしたからできる味。
知り尽くすと言うことは
何事も知りきれないことを知るということ。
無知の知すらまるっと煮込んで。
手をかけすぎず
つかず離れず。

出汁もいいな。
一番も二番も。

だから煮込み料理が好きなんだろうか。

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