これまでの日記を振り返る―5月編―
前の日記でこれまでの日記を振り返りたいと書いた。
いままでのものを一気に振り返ると分量がすごいことになりそうなので、月別に紹介していきたい。
今回は五月編です。
5月11日
5月11日は特別な日である。なぜなら、この日を境にお昼を作って持っていこうと決心したからである。このときはドデカおにぎりを作ったような気がする。
と、ここでは書いていたが、結局ちゃんとお金の計算をすることはなかった。今でもお金の計算はしていない。フィーリングでやりくりしている。その割には毎月貯金できているから、フィーリングも捨てたものではない。
まあ、しっかり計画を持っていたらもっと貯まっていた可能性は否定できないが。
このときは知の生態学の冒険の第一巻を読んでいるようだ。
ここで言っているのは、「弱いロボット」のことだ。弱いロボットの設計思想は、完璧を目指さず、あえて弱いところを見せることで、人間との共同を目指すことである。
ロボットの設計はとにかく大変だ。人間が何気なく行う二足歩行をするだけでも、非常に繊細な調整を必要とする。
弱いロボットはそうした二足歩行を目指すことはしない。歩けないのであれば、歩かせてもらおう、というのが根幹にある。
そこには、ロボットと人間という二項対立的な図式ではなく、ロボット×人間といった場が作られる。
まさに、「考え込むなく、まわりに半ば委ねてしまおう!」
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5月12日
レム『完全な真空』を図書館に返し、別の本を借りている。
「レムの『完全な真空』は途中までだったが予約期限のゆえ泣く泣く返却することに」と書いているように、まだ読了していなかった。そしていまでも読み終えていない。全部読み終えないとなんだか気持ち悪い感じがするのでさっさと読了したいのだが。
そして性懲りも無く読みさしの『現代日本のブックデザイン史』を再び借りている。実はこの本もいまだに読み終えていない。『現代日本の〜』は買った方がいいかなと思いながら、買っていない。いい本なのは間違いない。
『グラフィックデザインブックガイド』については、また後日に書いた日記に感想を書いていると思うので、ここでは取り上げない。
『知の生態学の冒険』は4章がお気に入りだった。コミュニケーションに問題ってずっと考えているような気がするな。最近も『会話を哲学する』を買ったし。ユリイカの「現代語の世界」とか。
人間に生まれついたからにはコミュニケーションはしなければならないが、この営為についていまだに掴みきれていないところがある。なんだか自分が認識しているコミュニケーションの様式と他者が考えて行うそれとでは乖離が生じているように思えてならないのだ。でもこれは感覚的な話なので、こうしたモヤモヤをもう少し具体化できればと思う次第である。
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5月13日
飲みに行っていたようである。
「他者にすべてを任せて私はその流れをたゆたっていた」というのは、私が飲み会のときにやる癖である。眼前の光景と事象が私と切り離されて、完全な対象物と化す瞬間が、ある。
あまり誉められた癖ではないと思っているので、改善していきたいと思っている。やはり関与って大事。
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5月14日
『シン・ウルトラマン』を観る。
5月13日公開なので、一日遅れで観たことになる。
個人的にシンウルトラマンの評価はそこまで高くない。
他の人の評価の中には、一部の描写に関する不満があったが、私としてはそれほど気にするものではなかった。尻を叩く描写はキャラ立ちとして入れているのだろうと思った。
『シンウルトラマン』は、『シンゴジラ』のときに比べると怪獣がたくさん現れて、全体的にやっていることは派手なのだが、それでも『シンゴジラ』の方が画作りとしてはリッチに見えた。
『シンゴジラ』は大人が会議をしている様子が何度か映し出されるが、多くの人々が一堂に会して会議をしているシーンは迫力があり、説得力もあった。シンウルトラマンは、一度に出てくるキャストの数が控えめで、そこが『シンゴジラ』と比べて少し劣って見えるところなのかもしれない。
とくにPSVRで国際会議(?)しているところはもう少し見せ方を工夫してほしかった。せめてHMDはPSVRではなくHTC VIVEを使ってほしかった。そっちの方がかっこいいので。
この日はどこのシアターでシンウルトラマンを見たんだろうか?あまり覚えていないな。近くの映画館だった気もするが。
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5月15日
ここで書いてある、読むのが億劫なときに読む本についてはいくつかのバリエーションがある。
・書評集
・論文集
・エッセイ
・図鑑
などなど……。どれも一つ一つが比較的短くまとまっているので読みやすい。
本を読むことは好きだが、読むことが面倒くさくなるのはよくある。
しかし、そういうときは本を読むことで面倒臭くなくなるのである。我ながら変な習性だな、と思う。
本に対するワクワク感を取り戻すことができるという点では、書評集はかなり良い部類の本だと思う。
萩原魚雷さんの本なんかはそれに最適だ。
とくに『本と怠け者』はオススメ。
『本と怠け者』では、著者の萩原魚雷と、古本という物質が組み合わさることで独特な時間感覚がそこに現出している。日々の仕事や学校などの忙しさから逃亡したいと思ったとき、本書は威力を増すだろう。また筆致が全体的にゆるやかで肩の力を抜いて読めるという点でも良い本だ。
いますぐ買って欲しい……と言いたいところだが、いまみると品切れしていて値段が2~3倍高騰している。
こういうのがあると買っててよかったと思える。
この日は『グラフィックデザイン・ブックガイド』を読んだのだが、些細な点が気になって仕方がなかった。とにかく書影が小さいのである。5月15日の日記に写真を載せているので確認して欲しい。内容には直接的には関わらないし、書影も一応見えるので許容可能だとは思うが、それでも気になってしまった。
よさげな本なのに惜しい。もしかしたら著作権的なアレがあるからそうなっているのかな?
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5月16日
鶏そぼろ丼の感謝を述べている。今でも鶏そぼろ丼はよく作るので、非常にお世話になっている。ありがとう。
『日本文化史講義』を読み終えている。
『日本文化史講義』は二部制で、前半が教科書的な文化史の概論、後半が文化史そのものに対する課題と展望について述べている。
簡潔で明瞭に記されているので、日本文化史をすっかり忘れてしまった人にとって有用だと思う。
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5月17日
『知の生態学の冒険 ロボット』を読み終えた日。
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5月18日
家事の不毛さについて書いている。そしてこれは今でも思っている。
インターネットでドラム洗濯機とか、掃除ロボットの利便さについて語っている言説をよく耳にする。ドラム洗濯機を買ったら、食洗機を買ったら、掃除ロボットを買ったら、人生が変わっただのなんだの。私はいままでそうした言説について、誇張しているだけだろ、たしかに便利だろうけど人生が変わるほどではないだうなんて穿った見方をしていたが、
うん、人生変わると思う。
買ってもないのに人生が変わることがすでに予見されるのである。
とくにドラム洗濯機と食洗機はすごそうだ。
洗濯と皿洗いの時間はそれほど巨大で冒涜的なのである。
ということで、欲しいなあと思いつつ商品をいろいろ調べたりしている。
ドラム式洗濯機で気になっているのは、パナソニックのキューブルという製品。
ミニマルでスタイリッシュなデザインがかっこいい。
お値段20万円。高い!ドラム式洗濯機の相場の中では中価格帯〜高価格帯の間くらいだろうか。そもそもドラム式洗濯機というのは高いのである。
この日は古本市に行ったようである。たぶん新橋の古本市。
古本市の愉しみ方がいまいちわかっていない。ワクワクして行くのだが、大量の古本を前にどうすればいいかわからなくなってしまう。
どのようにすれば愉しめるだろうか?
秋に神保町で古本まつりが開催されるだろうから、それまでに答えを出したい。これは宿題だ。
この日の日記で謎なのは、19日の16時にアップしていることだ。なんでこんな平日の夕方にあげたのだろうか?会社のトイレとかで書いてあげたのだろうか。
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5月19日
この日は昼ごはん問題について書いている。
今はこの問題は割と解決できている。朝起きるのが苦痛だと書いているが、いまではそこまで苦痛ではなくなった。
弁当を作るのも、冷凍食品を解凍して弁当箱に詰めているだけなので、そもそもそんなに早起きしているわけではない。
あとは、ゼロサムで考える必要もないな、と考えの方向性を転換した。疲れたらアウトソーシングすればよい。大事なのは割合である。弁当を持って行く頻度がコンビニで買うことよりも上回ることができたら、それでいいのである。
お昼はゆるく考えよう。
これは今もそう…。でも前に比べたら、遊びに行った場所とかは書くようになったと思う。
日記ってかなり自由なフォーマットだと思う。一日の出来事を書くという便宜は可能な限り拡張することができると思う。別に妄想や空想を書いても良いとさえ思う。
しばしば日記に書く内容がないと苦慮している人をみかけるが(そして私自身むかしはそうだったのだが)、内容がなければ作ればいいのではと今では思うようになった。
この、日記に書く内容がないときに考えたいポイントについては、独立して記事を書いてみたいと思っている。
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5月20日
Apple musicのリンクを貼ると試し聞きみたいなかたちで聴けることに気づいた日。この日から、毎日音楽を紹介しようかなと思っていたのだが、いまではできていない。というか忘れていた。
いまは日記にあまり音楽のことを書かないが、日常的によく聴いているのでもっと書いていきたい気持ちがある。でも音楽を語るのって難しい。音楽の用語なんて知らないし、アーティストについてもよく知っているわけではない。
自分がこの音楽を好きだと感じたとき、その根拠はひどく曖昧だ。「好きだから好きなんだ」とトートロジーに陥ってしまうことが往々にしてある。
でも、自分の「好き」には明らかに傾向がある。エレクトロニックとか、インストとか…。そうした傾向を、的確に捉えて言語化できるようになれば、自分の音楽レベルは一段あがるだろう。
ここで書いている『ユリイカ』のレイハラカミ特集とは、↑のことである。
余談だが、ここの対談で、レイハラカミに合う歌手(?)が紹介されていたのだが、その一人に青葉市子がいた。そこで私は青葉市子という人間の存在を知った。「Porcelain」という曲のMVがすごいのだが、それについては後日の日記に書いている。
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5月21日
この日はずっと家でダラダラしていた日だ。たしか、この日の前日が飲み会で夜遅くまで起きていたので、「次の日はダラダラしよう」と決めたのだった。
『四畳半神話大系』について。主人公は京都大学工学部電子学科に所属する学生なのだが、同じく京都大学工学部電子学科に所属する仲の良い友人がいたので、すごく親近感があった。
NF(京大の文化祭)も、その友人といっしょにまわっていた。
また余談だが、京大生(かどうかは確かではないが)の酒癖は悪く、NFの治安はあまりよくない。とにかく酔った男子女子学生が誰かに介抱されている現場をよく見かける。吐瀉物もよく見かけた。それをみたのはコロナ前だったので、いまでは変わっているかもしれないが。
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5月22日
業務スーパーに行ったが、予想外の店舗の小ささにより意気消沈してしまった回。
しかしこういう動画を見ていると買いたくなってくるものだ。
でも業スー微妙に遠いのよね。なにか強烈に欲しいものがないと行かないくらいの遠さ。せめて自転車があれば気軽に行けるのだけど。
ここには書いてないが、Tokyo highway radioでは歌詞の意味についても語られていて、そのエピソードも好きだったりする。
歌詞というのは、それが独立して存在しているわけではなく、かならず音楽とともに存在しており、聴かれるものだ。
そして良い歌詞というものは、歌詞だけでなく音楽とともに渾然一体となるものだ。そこでは歌詞の意味は必ずしも重要ではない。リズムのなかで、意味のわからない歌詞が意味のあるものとして立ち現れてくる。
…そんな感じの話をしていて、なるほどと思った。
自分は歌詞を意識して聴くことはほとんどない。しかし意味のない歌詞というものは好きだったりする。
Spangle call Lilli lineの「nano」という曲は歌詞が全体としてよくわからないが、それでもリズムとともに有意味を獲得している。そういうふうに聴こえてくる。
また『シンウルトラマン』について書いている。ウルトラマンが人間が好きになった理由について。
https://fusetter.com/tw/AcL1z99p#all
↑の感想が良い。EOEからそんな感じというのは、シンジはじめ周りのさまざまなキャラクターが陥っていた問題というのがまさに「愛情の発露」の問題だったからだ。ラストの「気持ち悪い」に代表されるように、愛を直接的に伝えることができない、曲がりくねった表現がシンウルトラマンにも現れているのではないか、ということである。
無理やりかもしれないけどね。
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5月23日
エントリーとレモンパックの探求が始まった日。
この日からエントリーとレモンパックはたびたび日記に登場することになる。
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5月24日
この日からタイトルをつけるようになった。やはりタイトルがあったほうが見返すときに便利である。
カレーを作るときに考えるべきポイントが書いている。なんて有益な日記なんだ。カレーはいまでも作っている。昨日(9月3日)も作ってるし。
ちなみに、さらに有益な情報を付記しておくと、カレーを作り終えた鍋は、沸騰したお湯につけると鍋に付いているカレーを拭き取りやすくなる。キッチンペーパーなどで拭いてから洗剤で洗うようにすれば、食器用スポンジがカレーまみれになることがなくなる。スポンジの寿命が伸びるということだ。
『日常に侵入する自己啓発』を読んでいる。本書は自己啓発本を語る上で外せない。自己啓発本というジャンルは、読者の欲望を反映させた装置、システムである。だれがどのような考えや悩みを持っているか、わかってくる。いや、自己啓発本の機能はそれだけではない。自己啓発本は、問題の創出にも関わってくるからだ。
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5月25日
『現代思想』の6月臨時増刊号と『独自成類的人間』を買った日。
独自成類的人間は哲学者永井均のツイッター本シリーズの第二冊にあたる。
シリーズ第三冊はちょうど最近発売されている。
『遺稿焼却問題』『独自成類的人間』と違って、『哲学的洞察』では、純粋に哲学的議論にまつわるものを集めているようである。
このツイッター本シリーズ、それぞれ本の表紙の色が赤、緑、青と信号機の色と同じになっている。シリーズ本ってわりと似たような装丁になるからちょっと変わっている感じがする。
『独自成類的人間』の感想については、後日の日記に記している。
『オクトローグ』、『いかに終わるか』、『知の生態学の冒険 間合い』、『知の生態学の冒険 自己と他者』を借りている。
『間合い』については、後日の日記に書いているが、『オクトローグ』、『いかに終わるか』については日記にあまり書かなかったような気がする。
『オクトローグ』の著者酉島伝法は、『るん(笑)』や『宿借りの星』を書いたSF作家である。
酉島伝法の描く世界は、現実のようで現実感のない世界である。それは完全な異世界というわけでもなく、現実とのズレによって現実感のなさを表現している。
『オクトローグ』収録の「金星の蟲」はまさにそうした作家性が遺憾なく発揮された一作である。刷版工場に勤める男性の日常が、些細な違和感から徐々にズレていく様子は圧巻だ。
『いかに終わるか』はスペキュラティヴ・フィクションの提唱者山野浩一の短編集である。
「死滅世代」はもはや生殖活動をしなくなり、生きることに倦んでしまった人類が地球を覆い尽くしてしまった世界の話。あまりに救いのない話だが、少子高齢化となった現代日本の行く末を暗示しているようで示唆に富む。
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5月26日
やりたいことが多いのにやれない現状に、せめてもの抵抗としてやりたいことをとにかく書いた回。
ここに書いたものはいまでもやりたいと思っている。
でも、この「本屋をめぐる」については割とできている。
書店探訪シリーズを打ち立てたし。
でもここに書く記事についてはもう少し内容を練ったほうがいいと思い、現在は休止中。時期がくればたくさん書きたい。
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5月27日
傘を買った日。買った当時はこれから梅雨だしたくさん使うだろうと思って買ったのだった。結果としては、今年の梅雨、ほとんどなかったのだけど。
ボーカロイドの進展について。人工音声は今後さらなる発展を遂げると思う。
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5月28日
なんとなくスーパーやコンビニに行くたびに探していた「レモンパック」、「エントリー」だが、近所のスーパーにあることが判明した回。
でも売り切れていた。レモンパックを食べることは果たしてできるのか。
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5月29日
池袋に行った回。
この日はジュンク堂と天狼院書店に行って、感想もnoteに書いた。
話しかけてもらえなかったことに対して疑問を呈していた。
私はあまり話しかけられることがないのだが、なんでなんだろう。いでたちのせい?あまりにも話しかけるなオーラを出しているのだろうか。
謎である。
カフェで本を読むことについて。人気なカフェでは長時間滞在して本を読むのは憚られる。常に「邪魔かな…」という思考がノイズとなって読書に集中できないのである。
ここで書いている「悩みを解決できるお店」というのは「fuzkue」のことである。独立記事を書くのを忘れてしまっていた。
「本の読める店」と標榜しているが、その名にふさわしく、本読みにとって優しい仕組みづくりがなされている。混雑を気にせずにいつまでもいてもいいし、周りは静かだし、ドリンクおいしいし…。がっつり本を読みたいぞ!となったら真っ先に候補に上がるお店である。
仕組みづくりがしっかりされていると書いたが、その代わり少しルールに厳しいところがあるので、初めて行く人はどういうお店か調べていくのがオススメ。あと一人で行くべき。二人以上で行くようなところではない。
思い返せば5月から暑かったようである。やべ〜。
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5月30日
規則正しく生きると日記が書きやすくなります。日記が書きたい人は規則正しく生きよう。
Twitterを初めて触ったのは中学二年性のときだった。毎日朝から晩までいろいろなことを呟いていた。アカウントはもう消したので、当時のツイートを見ることはできない。どんなことを呟いていたのだろうか?いまでは知る由もない。
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5月31日
仕事の都合で映画Dayになった回。この日はトップガンマーヴェリックを見たのだった。
ナラティブでないものをナラティブでなく語るためにはどうすればいいんだろう?全てを物語に変換することは、なんだか貧しくなってしまう気がする。
この問題はいまでも解決していません。これからも考えていこう!
…
おわりに
あー疲れた。こんなに書くとは思わなかった。
次から月の前半と後半で分けようと思います。
全部読んだ人(いるのか?)はありがとう。これからも日記を書いていくのでよろしくお願いします。
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