好きな言葉 Ⅱ
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大好きな詩人、銀色夏生さんの言葉。銀色さんのことを知ったのは、合唱組曲「終わりのない歌」でその詩が使用されていたからだった。「終わりのない歌」は、これまた大好きな上田真樹さんが作曲した計5曲からなる組曲で、地元の高校の男声合唱団が歌っているのを聞いてとても感動したのをいまだに覚えている。
大学生になったある日、銀色さんのホームページを見ていて目に留まった「春」という題のモノローグにこの言葉が載せられていた。
生まれてきてこの方様々な変化を乗り越えてきたが、その一つひとつがいまのわたしを形作っていることを最近になって痛感する。
わたしは合唱を長らくやっていたので、お気に入りの合唱曲がいくつもある。合唱に使われる詩は、ハーモニーにその意味を増幅されて、多色のイメージとともに記憶される。わたしにとって、合唱は色の洪水である。
色の濃い言葉を得たいとき、わたしは合唱曲に立ち返る。
7
「披星」は星をかぶることから早朝、「戴月」は月を戴くことから夜遅くを意味する。つまり、夜明けから深夜まで一生懸命仕事をすることを指す言葉である。「披星带月」と言うこともあるらしい。
この言葉が好きなのは、わたしが目の前の仕事に一生懸命取り組むのが好きであることが第一の理由である。NPOでボランティアをしていたときには、無時間のなかでパソコンに向き合っていた。以下のノートにもその様子を少し綴ってある。
この言葉は、努力や苦労のすぐそばに、雄大な自然があることを思い出させてくれ、蛍雪の功にも似た佇まいを感じる。
ちなみに、先ほど第一の理由と書いたが、第二の理由はこの言葉の語源となる話の主題にある。主題の概略は以下のようなものだ。
――まだ星が残るほど朝早くから仕事に出かけ、月が天頂高くなるくらい遅くに帰路につくほどに激務であった中国春秋時代の魯国の役人が、ゆったりとしているにもかかわらずうまく治めている(仕事をこなしているだったかもしれない)者にそのわけを尋ねたところ、「人を上手く使うこと」が肝要であると言われた。
下の記事で述べた通り、わたしは人を頼ることがとても不得手である。この言葉を見ると、何かを成し遂げるには自分一人でしゃにむに頑張るだけでは不十分であり、人への向き合い方も大事にしなければならないということを改めて確認できる。
8
月が好きなので、もう一つ月にまつわる言葉を。この言葉は、名声や地位、富を求めず、雲や月のように清らかな心を持つ人のことを指す。
これだけ記号的消費がはびこる世の中では、雲や月のような自在さ、明るさを持ってしなやかに生き続けることは難しいかもしれない。それでも、朝焼けにまぎれる月、昼下がりの空に浮かぶほぐれた雲、濁った夜に光る月やその月に照らされる雲を眺めていると、孤高に安んじたいと思う。
ちなみに、月にわたしたちが見出す「不動」の性格に関連して、普灯録という書物には「風吹不動天辺月」という言葉が出てくる。この禅語は、世の中に起こる何事にも動じない確固たる信念や意志の強さを感じさせる。こちらもお気に入りの言いまわしである。
9
音楽を扱ったもののなかで、おそらく一番大好きな小説『マチネの終わりに』(平野啓一郎)に登場する言葉。明晰さは太陽に最も近い傷だ、というが、わたしはこの言葉が形作られた文脈をあまり知らない。背景知識は、ナチス・ドイツに占領されたフランスにおけるレジスタンス運動の体験が刻まれた1946年の「イプノスの綴り」という詩集の一部であることくらいだ。重い文脈を度外視して好きであり続けることに罪悪感を覚えつつ、あまりにこの言葉の表現が好きで、言葉の連なりが醸す印象に浸ったままでいたくて、食指が動かないでいる。ただ、いつかはきちんとシャールの詩集を読んで、その背景を知るつもりだ。
たとえ文脈を知ったとしても、明晰さの功と罪を鋭く指摘するこの言葉のアフォリズム的な表現姿勢に惹かれることには変わりないだろう。
10
正しき者の道は、夜明けの光のようだ、いよいよ輝きを増して真昼となる。この言葉だけ、もはやどこで知ったのか覚えていない。「正しき者の道」は、新改訳では「義人の道」、新共同訳では「神に従う人の道」になるらしい。内村鑑三も著書『続一日一生』で引用していたという箴言の言葉だ。
これから先、暗く果てしないと感じる道を歩んでいたとしても、最後には日が差すと信じて楽しみたい。
わたしにとって、言葉は濃霧のなかを進むための光芒なのだと思う。
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