旧東海道歩き153 鈴鹿峠と伊勢信仰
鈴鹿峠を登ります。
東海道の看板にもなってる。
当時は階段じゃなかったのだろうけれども。
ほっしんの 初にこゆる 鈴鹿山
って、芭蕉が住んでいたのは江戸に住んでいたから、初めに越えるのは鈴鹿山じゃなさそうだけど、どうなんだ。
そして、全国に散らばる芭蕉句碑。
汚れた看板。
鈴鹿国定公園。
平安時代の今昔物語にも出てくる鈴鹿峠
また、西行法師がこう詠む
鈴鹿山 浮き世をよそにふり捨てて いかになりゆく わが身なるらむ
なるほど、これを踏まえての芭蕉の句なのか。
西行は都から伊勢神宮に向かう道の歌らしいのだが。
てことは、平安時代から伊勢神宮は全国的に、なの?お参りする習慣?があったのか
おや。
伊勢神宮は最初、皇室の祖先神で、勅許によらなければ参拝も出来なかったと。
それが、律令制の崩壊から荘園制の成立に際して、経済基盤が揺らいだところから、11世紀後期から太宰府管内以外の国から役夫工米っていう特別な課税を国ごとに行い始めた。
で、その税を取り立てる役夫工米使(神宮の神官)が結果として国中に伊勢信仰を広めることになった、と。
で、西行の一生が 1118~1190年で12世紀だから、伊勢信仰が全国に広まった頃だね
ってことは、けっこうハイカラな選択だったんだろか。
まぁまぁな峠道
霞がかかった山
このような道を進んでいき
伊勢国から近江国へ
そして、三重県から滋賀県へ
三条大橋が近づいてきています。
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