熊本地震で進んだ、災害対策のデジタル化
おはようございます。
2024年4月16日です。
2016年、熊本地震の本震が起きて、8年が経ちます。
年度始め。
突然の直下型の地震。
震度7を計測しました。
北九州市で緊急地震速報が鳴り響きまして、「ついに南海トラフか!?」とニュースをつけたのを思い出します。
熊本を震源とした直下型地震でした。
その後、『余震』に注意していて、前震よりも大きな『本震』が起こりました。
震度7の連発は観測史上初となりました。
また、政令指定都市熊本での被災も含めて、とても甚大な災害となりました。
たしか、直接死が約50人。災害関連死を含めると200~300人ぐらいの方が亡くなったと記憶しています。
いまでも、災害後に苦しんでおられる方や、ご家族や大切な方を亡くした方も多くいらっしゃいます。
何もすることはできませんが、
せめて、想いを馳せます。
そして、その教訓をこれからの災害対策や防災に活かしていくことが、ニュースに胸を痛めた当時を知る一員としてできることではないでしょうか。
8年前の今日、本震があったのは、時計が日をまたぎ、深夜だったように記憶しています。
この日のうちには、ぼくは被災地支援の一員として熊本の現地に入っておりました。
同じ九州の隣りの政令指定都市。
政令指定都市どうしでの相互応援協定に基づいて、支援に入ります。
全国の政令指定都市の皆さんも続々と熊本市に集結してきました。
支援の途中にも、益城などにも行き、まるで現実とは思えない被災した状況を目にしてきました。
発災応急期の避難所もいくつも回りました。
物資支援の物流のフォローや、災害対策本部に加わっての応援都市ができることの調整にも当たりました。
各区役所を軸とした罹災証明書の発行と、その前段となる被害認定調査の総合調整にも当たりました。
そして、次々と来る北九州市からの支援職員の受入れ調整などを主に担当していきました。
毎日というか、時間単位、分刻みのように、刻々と変化していく災害対応に、時間軸のなかでの対応に必然性についても強く感じました。
以降の内容は、ぼくから見た記憶と評価ですので、実際とは異なる部分や齟齬もあるかもしれません。予めご了承ください。
8年前と現状を比べての時代の進歩。
そして、災害の記憶をアーカイブ的に、ここにアウトプットしておきたいと思います。
①災害対策本部のテレビ会議システム
コロナ禍を経て、今では当たり前になっているかもしれませんが、この機能は当時では各段に効果があったものと感じています。
ぼくたちからすると、当時の最先端でした。
刻々と変わる災害対応。
段々と情報が増えていくなかで、ニーズや注目点も変わっていきます。
被害の全容も明らかになっていきます。
朝と夕方に、災害対策本部を開催されていらっしゃいました。
発災当初は、各区から本庁に集まり、情報共有して指示を受けて、また持ち帰ってというのを繰り返していましたが、
災害への市民対応の最前線となる各区は、点在する本拠地と本庁との行き来だけで、一日2回、随分と労力を要していました。
そこで、テレビ会議システムが導入されました。
会議のためだけにわざわざ本庁に行かなくて良いというのは、随分と効率性が増し、災害対応へ、より労力を注ぐことができるようになったことをお見受けしておりました。
これは、端から見るぼくたちにとっても、とても画期的なものでした。
②物流のシステム管理化
東日本大震災を教訓に、『物資支援』の考え方が随分と変わりました。
いわゆる、PULL型とPUSH型と言う違いです。
PULL型の「これがほしい」と言われてから持っていったのでは、到着するまでにニーズが変更してしまうというものです。
象徴的な経験として、『水』『HELP』と運動場に描かれた避難所がありました。全国ニュースでバンバン報じられていて、何日たってもその空からの映像が放送されていました。
全国から災害対応の悪さを批判する声が殺到し、手が足りないなか、ぼくもその現地へ行きました。どんな悲惨な状況が待っているかと思いきや、玄関部分にまで溢れ出すほどの物資が山積みになっていました。
現地のニーズは刻々と変化しているのです。
一方で、PUSH型と言うのは、「これがほしい」と『言われる前に』、『勝手に』送り込むというものです。
熊本地震のときには、東日本大震災の教訓をもとに、どんどんPUSH型で物資が送られてきていました。
しかしながら、届いた中間拠点では大渋滞。
荷卸しのトラックだけで長蛇の列をなしておりました。
さらにしかしながら、物資を必要とする物流の末端となる避難所などには、届いていません。
ボトルネックと言って、詰まってしまうところで渋滞を起こしてしまいます。
どこにどれほどの物資が必要なのか?
中間拠点に一度置いて、また運んでは効率も悪いです。
直接送り込んだり、全体を把握する仕組みが必要となります。
現在では、これらの教訓をもとに、全国共通の物資支援システムが確立されています。
避難所などにいる現場の職員が、スマホでログインし、人数や必要物資を入力していると、配送中の状況を管理できたりするシステムとなっています。
在庫管理と今後の状況を確認できるものとなっています。
③家屋の被害認定調査
地震による被害で、建物の被災状況を一刻も早く調査しなければなりません。
その被害の程度によって『罹災証明書』の発行のされ方が変わります。
全壊なのか、半壊なのか、部分的損壊なのか、
被災者への支援メニューが全く異なってきます。
発行する行政としては、いい加減に出すわけがいかない、とても重要な資料となります。
その先の見舞金や住居の斡旋・提供など、全然対応が違ってきます。
だからこそ、正確に出さないといけないのですが、
それよりも早く!これを出さないと被災者の生活再建が進みません!!
これは、時間・スピード・対象物件の数・そしてスタッフの人数・・・。
とんでもない課題です。
政令指定都市熊本での、人口、そして被害程度の大きさから、とんでもない対応を強いられていました。しかも、超急いで・・・。
被災した建物を一軒一軒、専門スタッフが回ります。
建物を評価する見識がある人が見なければなりません。図面に書き起こして、傾きを調べたり、評価したり・・・。
もうとんでもなく大変です。
ローラー作戦にしては途方がなさすぎます。
そこで導入されたのが、タブレット端末でした。
写真を撮ったり、簡易な図面を書いたり、点数表の入力など、迅速にできるようになりました。
入力したデータは、証明書を発行する区役所とも連携されています。
支援職員による『ローラー作戦』もこれで展開されていきました。
紙や鉛筆や電卓やFAXで行っていた災害対応とは全く次元が違うスピード感でした。
現在では、この対応が主流となっています。
以上、3点について、ぼくの見た記憶をアウトプットしました。
激甚な災害の最中に、これらの進展をしてきた熊本市や被災地の皆さんには敬意を表したいと思います。
また、これらの災害対応の教訓や、ノウハウをこれからに活かしていくことが重要です。
さらには、時代の進展とともに、より良い対応を模索していけると良いなと思います。
この8年でさえ、随分と変わったこともあります。
少しでも前へ前へ進んでいけると良いと思います。
南西の空へ想いを馳せて、空を見上げます。
今日もご覧いただきありがとうございます。
貴重な時間のなか、この記事をご覧くださってありがとうございます。
冒頭の写真は、さんかくまゆげ(zhita)|noteさんの作品を使用させていただいています。ありがとうございます。被災前の熊本城の写真だそうです。
<1年前の”今日”の記事★>
<2年前の”今日”の記事★>