意見が言える素晴らしさ
世論を二分する出来事がありました。
賛否両論、色んな意見があります。
二分ではなくて、いくつかに分かれてるんだろうとも思います。
積極的賛成、あるいは積極的反対、
どっちでも良い、どうでも良い、知らん、など。
意見のトーンは、人それぞれだろうと思います。
ぼく自身はあまり意見してはいけない立場だと思っているので、傍観していましたが、
この国が、『意見が言える国』であることが再確認でき、それはとても嬉しかったです。
そして、
『意見や意志を表明していく行動』が現代においても、こんなに起きていくんだなと感銘を受けました。
SNSやネット社会において、意見するのも無限の二次元の世界であって、リアルでの行動は起きにくいのかなと思っていましたが、参加されている人はごく一部なんでしょうが、『行動していく』という表現がなされました。
その言い方や、やり方で、毛嫌いしている人も多いと思いますが、
ぼくが思うのは、『意見を表現する』ことは素晴らしいと思います。
色んな人がいるから、色んな意見があります。
見る角度も、考える観点も、経験も違います。
色んな声があるから面白いし、幅が広がります。
賛成か?反対か?
両者の意見を聴いていくと良いのだろうと思います。
いきなり、どちらかの分かれ道を選択させるのではなく、
議論を因数分解して、山崩し的に、切り分けていったとき、もしかしたら両者とも合致しているポイントがあるのかもしれません。
これが本来の『聴く力』なのだろうと思います。
自分の意見をすぐに曲げるのではなく、
双方の考えを聴き、合意・共感できるポイントを探していくことです。
世代によっても違うと思いますが、
おそらくぼくの前後ぐらいの世代は、
意見することをためらう傾向が強いと思います。
それは決定の仕方が、
パワーバランスであったり、
多数決であったり。
そんな社会構造の中で育ってきたからのように思います。
提案⇒意義なしが当然になってないですか?
意見する人を煙たがってないですか?
相手の位の高さをみて意見してませんか?
多数決で決めようとしてませんか?
ぼくもそんな世代です。
でも、段々と社会は変わっています。
少数派であるマイノリティの声も大切にされるようになってきました。
誰でも、どんなカタチであれ発言できるようになってきました。
今回特に、行動を起こしていくという姿も見られました。
どんどん意見して良いと思います。
意見しないとより良くは進みません。
そのためには、意見交換する技術や、心の持ちようが上手にならないといけないと思います。
そのためには、議論をきちんと捌けるファシリテーターの存在が必要になってくるのかもしれません。
こうした『聴く力』をもっと培っていきたいと思います。
冒頭のイラストは、Aomy.|noteさんの、『This is me.』という作品を使用させていただきました。ありがとうございます。
今日もご覧いただきありがとうございます。
関連する記事をいくつか貼っておきますね。
<1年前の”今日”の記事★>
(笑)これが、一年前の今日の記事でした!
是非、ご覧ください。
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