孤独・孤立について
ここ数日の色んな場所での議論が、数珠つなぎのように連鎖して繋がっていて、何かを知らせてくれているかのようです。
それは、孤独や孤立に関する話題です。
もちろん、これまでも様々な角度から取り扱ってきたテーマのひとつではありました。
皆さんと、より深く・広く議論していくなかで、もっともっと考えていかないといけない、もっと実践していかねばならないと思いました。
とりとめもないと思いますが、アウトプットしてみたいと思います。
冒頭のイラストは、神川あや┃絵と文と心の病|noteさんの作品を使用させていただいてます。ありがとうございます。
①行政だけの課題?
一昨日の夜、毎月開催していただいてる『サポのよる会』という会合があり、参加させていただきました。
これは、北九州市の公営施設であり、NPO活動などを支援する機関であり、場所です。(通称:サポセン)
市内のNPO関係者が、夜な夜な、寄って、雑談や相談をしています。
今月は、孤独・孤立に関する話題で話し合う予定だったのですが、行政のご担当者が急遽来れなくなり、NPO関係者のみで話し合うことに。
NPO活動でも、障害者支援、介護や生活支援、子どもの居場所づくりなどに取組んでらっしゃる方もおり、様々な角度からのご意見や、経験に基づくお話を聴くことができました。
上の記事は議論の要点を分かりやすくまとめられておられるので、ぜひご覧いただけたら嬉しいです。(&フォローもお願いします!)
そして、ぼくが最も感じたことは、
『孤独・孤立支援は行政だけの課題じゃない』っていうことです。
ぼく自身は半身が行政で、半身が市民活動者のような人間ですが(笑)、
どこか、行政は、行政だけでどうにかしようとしているところもあるんじゃないかなと思いました。(行政の方のお話を聴けてないので、一般的な印象として。)
皆さんの話を聴くと、
市民活動(NPO)の領域でご対応されている部分もあるし、
地域活動(地域コミュニティ)の領域での対応もあります。
もっと言えば、民によるものも、たくさんたくさんあります。
友人関係、人との繋がり、顔見知り、知り合い、っていう繋がりもあります。
セーフティネット的なものは、何でもかんでも行政へ課題を突き付けるのではなく、色んな角度から、あの手この手で対応を講じていくことも大切なのではないかと改めて思いました。
行政としては、そうした多彩な『手』や『目』をよく知り、繋いでいくことが最も大きな役割なのかもしれませんね。
ぼくの公務の半身は、『命』に関わるテーマですので、今後とも、もっともっと考えていきたいです。
②孤独死は悪いことか?
勉強足らずかもしれませんが、これは、ぼく個人の意見です。
以前、市議会でこんな発言をされた議員さんがいました。
『高齢者が誰にも看取られずに家で亡くなっていた。こんなことで良いのでしょうか!?』と前後の脈略もなく、行政幹部に向かって声を荒げていました。
それはもちろん、可哀そうだと思います。
人生の最後に、独りで生涯を閉じるというのは、辛いものがあったかもしれません。
その場面だけ切り取るとそうだと思います。
しかし、家族と住んでいても、病院や施設に入っていても、亡くなるときには独りっていうことも多々あります。
問題は、孤独死ではなく、『孤立死』。
家族関係や、社会や地域との繋がりがなく、孤立してしまうケース。
異臭がするまで誰にも発見されずにいたり。
見守りや、支え合いや、声のかけ合いが大切なのだろうと思います。
③家で死にたい
『安楽死で死なせて下さい』と著書を遺された橋田壽賀子さん。
望まれたような最期だったかは分かりませんが、著書と報道を見聞きする限り、良い最期だったと感じました。
(1) Facebook
↑↑ ぼくの以前のFacebookの投稿です。
高齢化社会の進展と医療の発達もあり、
現在は長く病院に入院することはできません。
言葉悪く言えば、家に帰らさせられます。
でも、『病院で死にたくない』『家で死にたい』とおっしゃる方は多いです。
病院で辛い延命治療を続けるのでなく、ご自身の望んだ最期を遂げることも、ひとつの本望だと思います。
そう考えると、前述の件は孤独だったかもしれませんが、ご自宅で亡くなるというのは、良いことだったとも言えるかもしれません。
今後、『家で看取る』というケースはますます増えていくと思われます。
④様々な孤独・孤立
孤独や孤立の課題は、高齢者や体の悪い方ばかりではありません。
社会的孤立、精神的孤立もあります。
子どもや若い世代の人が、孤立してしまっていくケースもあります。金銭のことや、虐待、ギャンブル依存など、課題は千差万別なんだろうと思います。
8050問題もあります。
就労問題や人付き合いが上手くできないということなど、いわゆる引きこもりが孤立を生んでいってしまいます。
不登校の問題や、子どもの居場所づくりも、長い目で見て、これらと繋がっていくのだろうと思います。
SDGsのカラーやロゴや輪を色んなところで見かけるようになってきましたが、エコとか人権とかの根っこに、『誰一人取り残さない』という最大のゴールが掲げられています。
こんな足元にある、身近にある、ご近所にある問題なんだろうと思います。
少し歯車が食い違えば、ぼくだって当事者になってしまうこともあると思います。
⑤様々な角度から
この課題と対になる解決策は単純な話、人が繋がることです。
ぼくが地域づくり関係の講座などでよく使うスライドです。
やっぱり一番大きいのは、人の繋がりの最小単位である家族・親族。
いわゆる『血縁』関係です。
(これさえも薄れていっている世の中と言われていますが・・・)
そして、『地縁』
ご近所やローカルなまちの中での繋がりですね。
繋がりのきっかけとして町内会組織っていうのはとても重宝されると感じています。
民生委員さんや福祉協力員さんの見守り活動には頭の下がる思いです。
最後に、『知縁』
知り合い、友達、日頃の付き合いということですね。
趣味やサロンやサークルやクラブ活動など、自分の居やすい居場所や人の中での繋がりですね。
これは友人関係だけでなく、
通っている病院や福祉施設、注文しているお弁当屋さん、いつも買い物に行く店、入り浸っている居酒屋など、いわゆる『民業』との繋がりでも良いのだろうと思います。
もっと言えば、最近は、ネット上での繋がりというのも出てきているそうです。
大別して整理するのに、この3つの「ちえん」のお話をよくしますが、
多彩な角度から、人と人とが繋がっていく、セーフティネットを張り巡らせていくことが大切なんだろうと思います。
支援する、支える、救うというような
強者と弱者の関係ではなく、
きっと、お互い様のネットワークなのだろうと思います。
きっと、誰しもが、救う側にも救われる側にもなるんだろうと思います。
見えにくいものですが、
人との距離やディスタンスとして、孤独・孤立というだけでなく、
心の孤立というのは、誰しもに大なり小なりあるのではないでしょうか。
ぼく自身は、
地域活動を支援する市民活動のプレイヤーとして、
居場所づくり、繋がりづくり、地域コミュニティの活性化へ、もっともっと取り組んでいきたいと思います。
課題ばかりを並べた記事になりましたが、
視線を傾けること、想いを寄せていくことから一歩目になっていくと思っています。
今日もご覧いただきありがとうございます。
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