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北九州市制60周年事業の終了、この10年での防災まちづくりの進歩を感じる

先日、北九州市の職員でもありますぼくは、とあるインフォメーションでの掲示情報を目にしました。

『北九州市制60周年事業の一連のプロジェクトは本日をもって終了します』との旨の掲示情報でした。

名札や公用車に付けていた「市制60周年」のシールをはがしたり、
還暦の赤をイメージした統一デザインの名刺の使用については終了となりました。

何だか、ひとつの大きな波が終わったような寂しさもありますね。
その掲示情報をもう少し見てみると
『周年事業の各種事業についてインスタにアップしていますので、是非フォローしてください!』とのことでした。

スイマセン!
終わった頃に、そんなインスタがあったことを知りました!申し訳ない!(早速フォローしました(笑))

そうか、周年事業か・・・
いろいろあったよね・・・・
どれどれ・・・

あら!!

無い!!!!!

ぼくたちがやったイベントが!!!!(笑)


市役所直営のイベントばかりの掲載だったんでしょう。ぼくたちがちゃんと行政に情報を挙げてなかったのもいけなかったのでしょう。

北九州市制60周年記念事業として採択され、
市民公募型の助成事業にも採択された
『防災Lab.北九州 防災の日100年プロジェクト』

やりましたよー!!!!
今年度の夏までの出来事でしたが、遠い過去のよう・・・(笑)


そんなことを回想していて、
ふと思ったんです。

還暦を迎えた市制60年。
この10年ぐらいに、『防災まちづくり』が随分と進んできたなって。


ぼくは、北九州市の職員でありながら、市民活動者として活動しており、2枚の名刺を持っています。
その双方で、この進歩を感じます。


まず、10年ほど前。
東日本大震災の後、社会全体として防災が今一度見直される波が来ていました。
そんな最中に、ぼくは危機管理室という消防局から移管した防災行政部局に転職・出向となりました。

当時の北九州市は、近年での災害経験の少なさから、『安全神話』のようなものがあり、まさに平和ボケのような感じ。
防災は重要だー!!って熱弁する行政に対して、ふーんってあっさりな市民。
何だかそんな構図でした。

改めて注目され、大切にされているフレーズの
『自助・共助・公助』
に代表されるように、それぞれのジャンルにおいての備えや活動が重要です。

つまり、市民による自助意識は低いなか、公助(行政)ばかりが頑張っても、このまちの防災は進んでいかない。
そう感じました。

市民参画による防災まちづくり。
地域での共助を育む防災まちづくり。
行政じゃない担い手による防災まちづくり。

そんな重要性を感じました。

ぼくは仕事として、地域防災計画の改正や国土強靭化地域計画の策定などに携わり、微力ながらその思いを計画の中に落とし込ませていただきました。

計画だけではなく、実行・実践していくことが重要です。

地域住民主体の『みんなdeBousaiまちづくり推進事業』を立ち上げることができました。

住民主体の防災まちづくりを検討していく会議体に、行政でない『まちづくりプレイヤー』が会議の進行や計画のとりまとめなどの支援に入るという設計です。
共助による防災施策を進めていくものです。

この事業は、NPOをはじめとした『プレイヤー』との協働が不可欠です。

北九州市の活動を見渡しても、この事業に該当する人を数えても、片方の手でも余るほどでした・・・。

そこに、ぼく自身の従前からの好きっちゃ北九州での活動フィールドによる人脈を辿り、仲間を募っていきました。

両手でも足りないほどの仲間候補者が集まり、みんなdeBousaiまちづくり推進事業は、本事業として全市展開されていくこととなりました。


ぼく自身も、危機管理室から転出後、NPOプレイヤーとして現場に行かせていただいています。

地域での防災まちづくりを進めていくと、地域を牽引されているシニア世代の皆さんしか集まらないことに愕然とし、
子どもをターゲットとした『あそぼうさい』の開発を始めました。

この「あそぼうさい」をキラーコンテンツにして、イオンモール八幡東さんや里山さんのご理解とご協力をいただき、ショッピングモールでの『あそぼうさいイベント』を開催することができました。

この開催にあたり、みんなdeBousaiのメンバーをはじめ、多彩な方々が参画していただきました。
そのジャンルや人種は幅が広く、防災まちづくりの拡がりを感じました。


その後、コロナ禍に突入しながらも、
東日本大震災からちょうど10年となる3.11。
これまで繋がってきたメンバーを中心に、オンラインで話し合いの場を設定しました。

このときに、出てきた結論として、『もっとみんなが繋がっていこう』というものでした。


その1年後の3.11。
皆さんにご提案させていただき、
防災に関するプラットフォーム型のネットワーク組織を立ち上げていこう!


みなさんの想いが重なり、ネットワークの母体が、できはじめました。


その後、みんなで話し合いながら、
『防災Lab.北九州』という、学び合いと発信の両面を大切にしたプラットフォーム型の組織を形成していきました。


この防災Lab.北九州を母体にして、
市制60周年記念事業に応募したのが
『防災の日100年プロジェクト』でした。

1923年9月1日に発生した、関東大震災から100年になる防災の日を契機に、市民参加型の、多彩な市民への発信をテーマとした活動を展開しました。

とても凄かったのは、100日間リレー投稿!!

100年後の9月1日まで、
100日間、誰かしらが、SNSに動画を投稿していくというチャレンジです。

多くの仲間が力を寄せ合い、達成することができました。

これが100日目、最後の投稿です。


イオンモール八幡東さんのご協力もいただき、
市民参加型の防災啓発イベントを実施することもできました。
参加者数は3,000人!!



思い起こせば、10年ほど前。
北九州市の市民の防災意識はとっても低かったと思います。
今でもどうなのかは分かりませんが、今よりももっと低かったと感じています。

プレイヤーが全然いなかった当時に比べ、
まわりを見渡せば、とっても多くの人たちが、それぞれのジャンルから、防災というものを大切にし、取組んでらっしゃいます。

地域活動を見れば、地域のつながりに『防災』の重要性を訴えていることを多く目にします。

かなり変わってきたと感じます。

ぼく自身、その一助にもなれてきたという自負もあります。
もちろん、皆さんのお力添えがあってこそでした。



市制60周年の一連のプロジェクトのピリオドにあたり。
ぼく自身、ぼくたち自身、
この北九州市の防災まちづくりにおいて、
少しは貢献してこれたんじゃないかなと思っています。

そんなことをふり返り、噛みしめています。


自己満足の記事ではなく、時代の変遷や、過去から現在までの流れを記した、アーカイブになればと思いました。

みんなが想いを寄せ合い、
少しでも歩みを進めて行動していけば、
社会は、少しずつ変わっていくことができる。
そんなわずかな成功体験も握りしめることができるような気がしています。





今日もご覧いただきありがとうございます。



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