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私の物語はどこにあるのだろう・・・
なんとなく感じるけど、noteの底流に次のようなことが含まれているのだろうか・・・
私はこう考えた、最も平凡な出来事がひとつの冒険となるには、それを〈語り〉はじめることが必要であり、それだけで充分である、と。これは人が騙されている事実である。人間はつねに物語の語り手であり、自分の物語と他人の物語に囲まれて生活している。彼は日常のすべての経験を、これらの物語を通して見る。そして、自分の生活を、他人に語っているみたいに生きようと努めるのだ。
『嘔吐』 J-P・サルトル 白井浩司訳(P.65)
私自身がこの引用をnoteの世界に結びつけて、何か小さな物語を語ろうとしているのかもしれない・・・(実際はできないのだが)