#278 マグナ・カルタ(大憲章)と障害者教育の夜明け
時は常に未来に流れ、そしてその未来もいずれ過去になる。浪漫的であり、また刹那的でもある「時間」という概念の中で私たちは生きています。過去とは偉大なる先人たちの集約であり、現在を生きる私たちに大切な気づきや感動を与えてくれます。
私の父親は法律に携わる仕事をしています。一度家族旅行で英国を訪れた際、ソールズベリ(Salisbury)の大聖堂に保管されているマグナ・カルタ(Magna Carta)の写本を見にいきました。1215年に成立したマグナ・カルタ(大憲章)はその効力性には変遷があっても、800年たった今でも英国にとって意義ある法律として機能しています。『法の支配』は権威から弱者を守る出発点でもあり、現代に生きる私たちにも通ずるものがあります。
父は帰国後、マグナ・カルタ(大憲章)を見てとても感動したと語っていました。800年前にも自分と同じように「法」に向きあい、新しい概念を生み出した人たちに思いを馳せていたのかもしれません。
『48平方メートルの宝箱からみる障害者教育の夜明け』という記事を見つけました。
この記事では日本の特別支援教育(特に視覚障害)の黎明期について語られています。日本の特別支援教育は、同校の前身で、1878(明治11)年に設立された京都盲唖(もうあ)院(後に盲学校と聾(ろう)学校に分離)から始まったとのこと。まだ日本が「国家」として生まれたばかりの頃のことです。
【48平方メートルの宝箱】とは同校の資料室のこと。子どもたちが同じ表現を使って一緒に学べるよう、指や手の形でカタカナを表現した「瘖唖(いんあ)五十音字形手勢図」や、50音を声に出す時の口の開き方や舌の巻き方などを絵で描き、言葉で説明する「発音起源図」などの関係資料約3000点は、学校の歴史や教育内容を具体的に伝えています。それらはまた2018年に国の重要文化財に指定されています。
自分が今やっていることは過去から引き継いだものであり、未来に渡すバトンのようなもの。長い人類の歴史の中で、個人が地球上にいられる時間は非常に短く、一瞬のようなもの。それでも、その小さな一瞬の閃の連続が、ほんの少しずつ社会をよりよくしてくれる。そのような根拠のない確信を持ちながら、今日もコラムを書いています。