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 以下の写真は学習漫画、『世界の歴史』の一コマです。


集英社出版・学習漫画『世界の歴史2 アレクサンドロス大王の帝国~古代ギリシア・ローマ~

 正解のない問いに対して考える行為、つまり「哲学」は、労働に時間を取られない貴族階級の特権であると描写されています。

 資本主義社会の中で、自ら「資本」となった私たちは、そのシステムの中で「価値ある資本」となるために、様々な実利的スキルを追い求めるようになりました。大学の哲学科の人たちがどこか世離れした特殊な存在と認識される傾向にあるのは、世の中の価値観がそうさせているのかもしれません。

 技術革新が起こり、様々な業務がAIに置き換わる時代。労働に対する考え方にも変化が起きています。従来の業務を見直し、仕事を再定義し、新たな価値を創造することです。そのためには、「哲学する」ことが必要になっていると言えるでしょう。

 大企業でも「哲学する」ことの価値が再認識されつつあるというコラムを書きました。

 21世紀の労働に必要なことは、私たちが「人間であること」を認識し、人間が人間たる所以を理解し、その本質的な力を発揮することにあるような気がする。

 『なぜ勉強をするのか?」…恩師に問われた「私の答え」』という記事を見つけました。

記事の中では、「なぜ勉強するのか」と教師に問われた、ある中学生が「哲学する様子」が描かれています。疑問を持たずに勉強していた中学生が、一つの問いに真剣に向き合うことで、義務としての教育ではなく、意思の宿った教育を求めていきます。

 思えば、児童・生徒は実は哲学が「好き」。なぜ、どうして、を連発する。中にはただ教員を困らせたいとか、やりたくない理由を探している子たちもいるでしょう。それでも、思春期の彼らは、どこか無識的にシステムの中に組み込まれることに対する疑問がある。今までは、その疑問はある意味では蔑ろにされてきたと言えるでしょう。

 だから今こそ、学校が「哲学する場」に変わる必要がある。自ら問いをたて、自ら考える。疑問に徹底的に向き合う。自分で自分の答えを探す。教員は何かを教える存在ではなく、彼らの哲学を支援する。

 これからの学校の姿は、まさに、「アカデメイア」なのです。


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