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#699 カテゴライズによって生まれる鳥籠

 私たちは、生きていく中で、様々なバイアスに晒されます。

 それらのバイアスは、その事象の本質を離れ、様々な印象を他者に与えることになるでしょう。

 私は幼稚園児のころ、「サングラスをかけた人はみんな悪い人だ」という印象を持っていました。

 今となっては笑い話ですが、実は同じようなことが、世界には蔓延しているように思います。

 「〇〇な人は△△である」

 このようなカテゴライズは、超効率社会の中において一定の効果を発揮します。

 就職活動において、東京大学卒の学生しか取らない企業もあるようですが、それは、例えば100人中何人が優秀かという確率論に基づいているからです(優秀の定義はさておいたとして)。

 一方、「〇〇な人は△△である」理論は、あくまで主観の集合体出会って、そこに客観性は全くなく、そしてその主語が大きくなればなるほど、画一的な視点に止まり、多様なものの考え方ができなくなる危険性があります。

 「女は〜である」

 「男は〜である」

 「髪を染めている人は〜である」

 「タトゥーを入れている人は〜である」

 バイアスによって生まれるイメージがもたらす、客観性なきカテゴライズは、私たちの社会を、まるで鳥籠のように生きづらくするのです。
 

 

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