#144 約束は本当の意味で約束になっているのか
保護者は子どもとしばしば「約束」を交わします
帰宅時間や学習時間、あるいはゲームやスマホの使用時間などに関する約束が多いのではないでしょうか。
子どもが約束を守れないと
「約束したじゃない!」
非難することもあるかもしれません。
でも少し立ち止まって考えて欲しいのです。
それって本当に「約束」だったのかと?
それは保護者の「こうあるべき」とは「こうしたほうが良い」という制限を「約束」という形にしただけではないのかと。
時として
子どもにとって保護者は自分が育った家庭の中で「権威主義」的な要素があります。
「他の家ではこうだ」と子どもが保護者に言った時、「他の家は関係ない。うちではこうだ」という返答を保護者がするのは、その象徴的場面でしょう。
そんな中、権威主義的な存在から言われた「約束」に、なかなか歯向かうことはできませんから、その場ではその約束を呑んだ形で終わらしてしまいます。
しかしその約束が本当の意味で、子どもが納得しなければ、結局約束は約束として機能しなくなるでしょう。
そして保護者からすれば「約束したのに」という苛立ちに変わり、子どもからすると保護者から非難される辛さを味わうという
なんとも言えぬ苦しい状況になってしまうのです。
もちろん、保護者から見れば、子どものためを思ってやっていることなのですが、子どもからすれば自分の意思や自由を制限されてるだけのように思ってしまうこともあるでしょう。
本当の意味での「約束」は相互的なものとなって初めて機能をします。互いが思っていること、考えていることを吐き出し、その「約束」がどのような意図を持つのかを考え、それを理解することが大切です。
家庭内における保護者という権威を盾にした一方的な「約束」は、決して「約束」として機能をしないのです。