#716 「くじら構文」を久しぶりに学んでみた
英文法の比較表現の中に「くじら構文」と呼ばれるものがあります。
A whale is no more a fish than a horse is.
「馬が魚である」 わけないので、「クジラが魚であると言うなら,そ れは馬が魚であると言っているのと変わらない」、つまり「クジラは馬と同じように魚でない」 という意味です。
比較表現を学ぶ上で必ず出てくる表現で、聞き覚えのある人も多いのではないでしょうか。
この構文は、知識階級の中でしばしば用いられ、政治の演説の中でも登場します。
ただこの表現は時に非常に難解で、主たる学習者である中高生はもちろん、その知識を伝達する教員側でも、しばしば内容を間違うこともあります。
実際に、2013年に行われたオバマ大統領の就任演説の中でも
But we have always understood that when times change, so must we; that fidelity to our founding principles requires new responses to new challenges; that preserving our individual freedoms ultimately requires collective action. For the American people can no more meet the demands of today’s world by acting alone than American soldiers could have met the forces of fascism or communism with muskets and militias.
下線部の中に「くじら構文」が用いられているのですが、
「だが我々は常に、時代が変わればわれわれもそうしなければいけないことを理解してきた。建国の精神に忠実であるには、新たな試練に新たな対応を取る必要がある。個人の自由を守るには、結束して行動することが最後には必要となる。かつての米兵は、小銃を携え、民兵とともにファシズムや共産主義に立ち向かうことが出来た。だが、米国民はもはや単独に行動していては、今日の世界の要求に応えることは出来ない」
と讀賣新聞は訳したのに対し
「しかし、時代の変化とともに我々も変わらなければならないということも常に理解してきた。建国の精神への忠誠は、新たな挑戦への新たな対応を求めている。個人の自由を守るためには、最終的に集団行動が必要となる。米国民が今日の世界の要求に単独の力で応えられないのは、米兵がマスケット銃(旧式歩兵銃)や民兵組織でファシズムや共産主義の勢力と戦えなかったことと同じだ」
と日本経済新聞は訳しています。
この両者の訳を見るとその内容は実は正反対になっていて、「くじら構文」の意味をとれば日本経済新聞の訳が正しく、讀賣新聞が間違いであることがわかります。
日本の英語教育の中ではしばしば、文法偏重に対する批判があり、それを受験英語と揶揄される傾向があります。
しかしながら、一見、「そんな構文、どこで使うの?」と思われるものでも、アカデミックでより教養が求められる英文で使われることがある。
かれこれ20年以上も英語に携わる私も、改めて「くじら構文」を学ぶ中で、受験英語と皮肉を言われる「文法」の価値を再認識するとともに、それが用いられるリアルを示すことで、その構文が受験英語ではない「生きた表現」であることを認識できるのだな、と実感します。