#411 他者の尊重は、相互的なものでないと、持続可能にならないというお話
私が教員になりたての頃、その業務内容はより良い授業を作り、そして児童・生徒の学力を伸ばすことだと思っていました。より良い授業を求め、そのために頑張ることが「正義」だと思っていた。なので、私は授業が下手な教員は教員ではないという傲慢さを持っていました。授業のために必死に努力している自分や職業を、授業が下手な教員が否定することに繋がるとまで考えていたのです。
チームワークという言葉があります。それは、同じ理念を共有し、その達成に向けて、自分の強みを活かして、自分に与えられた責任を全うすること。その根底には、自分のチームを、一人の人として尊重することが求められる。その人の持つ資質・能力によって、その人の価値を決めることなど、本当は誰もできやしない。そのことを理解するまで、私はとても時間がかかったし、実感という点においては、まだまだ未熟だなと思う。
映画「笑いのカイブツ」を鑑賞しました。主人公・ツチヤタカユキは、笑いがないと生きていけない怪物。その並外れたセンスと圧倒的な努力によって、ハガキ職人からプロの構成作家まで駆け上っていきます。一方、彼は「人間関係不得意」。彼の理想とする世界と現実との間で、多くの衝突を起こし、あるがままの自分で生きることができない葛藤がリアルに描かれていました。
映画の中で、ツチヤタカユキを見出した芸人が彼にこんな言葉を投げかける。
「番組は一人で作るものじゃない。面白くなくても、その人がいると何かうまくいくんだよ」
人は自分の資質・能力、それに付随する理想を求める。時に、その理想に合わない人たちを、自分の才能を盾に否定し軽視してしまうのかもしれない。ツチヤタカユキを見ながら自分自身を重ね合わせ、思わず涙してしまいました。
自分の正義を求めることは決して悪いことではない。そこにプライドや美意識が芽生え、自分を成長させてくれる。一方、そのプライドや能力によって、他者を否定してはならない。他者は自分と同じ大切な一人の人間であり、決して軽視することは許されないのです。