雑記 #精神疾患
NHKのドラマ、シュリンクを見た。
パニック障害、双極性障害、境界性パーソナリティ障害の3つについて全3話。
私は、心療内科や精神科で自律神経失調症や心身症、適応障害、抑うつ状態などとこれまで診断されてきた。
診断書を必要とした時に適応障害や抑うつと診断が出ているけど、そこに至るまでの間に、パニック障害や不安障害が絡んでるんだろうなと思ってる。
今も不安を抑える薬を頓服として処方してもらって何とか社会に出て働いている。
パニック症や不安障害と言っても、よく例として挙げられるような(このドラマでもそうだった)、死ぬと思って過呼吸になるってわけではないけど、
このツイートでもあるように、私もこの描写に、まさにこの感じだ、これこれ、とあまりのリアルさに驚いた。
第一話のパニック症を見たかったから再放送ありがたい。パニック発作が出そうになる一つ一つのきっかけ(扉が閉まる、カーテンが閉まって暗くなる、逃げられなくなる空間)等の描写がとても丁寧に描かれていて、パニック症持ちの私としてはそれそれ!と頷きまくりだった。#Shrink#シュリンク
— ぽよん (@monkeymagic1104) December 30, 2024
特定の環境で扉が閉まって密閉されたり、身動きが取りづらい、逃げられない状況に陥ることが苦手でまんまと自律神経が乱れて体調が変化する。
(このような時でもなくても、ストレス感じると自律神経は乱れまくる)
双極に関しては、
私もすごくポジティブな時と死にて〜モードの浮き沈みがある方なのと、調べると双極の人に処方されるような薬(うつ症状に効くらしいのできっとそっちで処方されてる)を処方された事もあったから双極疑われてるのかな?と思った事もあるけど、ドラマを見ていても浮き沈みはここまで激しくないので双極ではなさそう、などと思う。
主人公が双極の映画「生きてるだけで愛」を見た時も、鬱の時の気持ちにはすごく共感してしたけど、こうして双極の人を見ると自分は双極ではないんだろうな、経験した事ないなと思った事を思い出した。
双極は結構誤診もあったりするのを見かけるし判断が難しそう。双極と言われてそうじゃない事があるなら、双極と言われてなくても双極なパターンもあるだろうとも思う。
そもそも双極だとしても、躁の時は調子が良いと感じて病院に行かず、病院に行くのは大体鬱モードの時なのでは?という...病院で診てもらうタイミングがたまたまうつ状態だから、普通にうつと診断されることもありそうで、双極じゃないか?って事は医者に頼るというよりたまに自分自身で疑ってしまう。だからこそ、こうしてドラマや映画で双極の例を見ていると、違うなと思う。
他の病院にかかるシーンも出てきて、病院(先生)によって対応が全然違うところもリアルだった。
日本は精神科に通う人は少ないのに自殺率が多く、アメリカは精神科に通う人が多くて自殺率は日本より低いというデータもあげていた。
宇多田ヒカルも、海外では精神的なカウンセリングとかもっと日常的で当たり前のものだと言っていたし、
日本の身体崩してでも働くのが正義で、休むことは悪、精神疾患になる人は弱い人、精神科は異常者が行くところみたいな感覚や認識が余計に負に繋がるのだろうと思う。
最近、こっちのけんとさんの双極のこともよくSNSで見かける。
紅白を終えての投稿
【2024】
— こっちのけんと (@SuppokoPeppoko) December 31, 2024
同じ思いを持つ人、同じ病を持つ人、
可能な限り背負わせていただき、
人生をかけて1年間歌わせていただきました。
本当にありがとうございました。
若干躁期でした。
今後は跳ね返りと戦うために当分休みます。… pic.twitter.com/eWXI1nTaql
"どれだけ人生が変わっても「死にたいな」と考えてしまうので、やっぱり病気なんだなと思います。"
めちゃくちゃ分かる。
高校生くらいの時までは死にたいというよりは
"ぶっ倒れたい"そうすれば休める。ぶっ倒れない限り止まれない逃げられない、こんなに苦しくても倒れることもなく、動けてしまうから動ける限り毎日を過ごさないといけない、そう思ってた。
大学生の時も高校生の時ほどの苦しさは無くなって解放されたようにも感じだけどそれでも調子悪くなる時あったし、東京は地元よりさらにメンクリの初診予約が何ヶ月待ちとかで、藁にも縋る思いで当日予約できたメンクリに行ったらそれなりの所で、なんかとりあえず沢山薬を処方された覚えがある。
ただ、大学時代は比較的自由が効いたから、休む時は休むとかを勝手に一人で調整してたって感じだった。そんな感じで全く行けないような時期もあったし、卒業ギリギリもギリギリだったけど。
社会人になるとそうはいかないし、社会の理不尽や不条理に耐えれず余計に崩れる。
新卒の時に抑うつ状態で死にたいとばかり考えていたら、その後地元に戻ってきて何事もないように働きながら、働いてる最中も衣服の売り場のお畳みとかしながらふいに「死にてー」でいっぱいになったり、「死ななきゃ」に苛まれて、自分の胸にナイフ突き刺す映像が癖のように脳内再生されてた。
外を歩けば、高い建物を見てあそこなら確実、とか実際行動に移そうとか思ってなくてもそんなことを自然と考えてしまっていた。
あー、順調に社会復帰してると思いきやこんなにも希死念慮に苛まれながら生活してるのっておかしいよな、治ってないんだろうな、環境が変わってもすぐには変わらないんだ、とずっと思ってた。
ナイフの映像は、島にいた時もぶり返して酷かった。今はもう流れなくなった。
高い建物を見て考えるのは、看護助手してるときも仕事中に人間の醜さに直面したり疲れて何もかも嫌になりながら帰る時とか、今でもメンタルやられてる時はよくある。
別に本気でどこなら死ねるかなんて考えて探してるわけじゃない。でも、私のずっとうっすら希死念慮に苛まれる生活はそんな感じ。
どれだけ人生が変わっても変わらない、本当にそうだと思う。そう簡単に変わらない。
だから、不調の原因の大部分が職場だとしても職場が変われば100%そういうのがなくなるとも思ってないし、恋愛とか結婚とか出産とかライフスタイルが変わったとしても、そういうことで変わるとも思ってない。
こっちのけんとさんのように"また頑張れる時まで休む"という選択そのものも、そういう選択ができる環境である事も素晴らしいと思う。
誰もがそういう選択を取れる環境だったらいいけど、そうじゃないのがどうにかなればいいのになと思う。
本当はまだ休むべきなんだろうなという段階だったり、本当はもっとセーブしながら働くのがいいと分かっていても、自分の生活(お金)の事を考えるとフルで働かざるを得なくなる。だからずっとループ。
"悩みは解決するのが1番ですが、
持ち続ける事で人生を彩ることも出来ます。"
これに関しても、共感する。
たまに何にも悩まなくて済む脳になりたいとか思うけど、(何度かnoteで話してる)これも宇多田ヒカルも言ってますからね"感じたくない事も感じなきゃ何も感じられなくなるから"と。
人は所詮一人だし、孤独や悩みと向き合う事は完全放棄すべきものじゃないんだろうな。