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離れて気づいたこと。
母と毎日のように電話で話した1年。
不快な気持ちになることも
あってもなくても
母の介護の姉の少しでも力になれたら
と離れて暮らす自分は
電話をかけていた。
日に日に不快感は増していくのに
電話をかけるのがやめられなかった
自分は母に依存していたのかもしれない。
母
母については複雑な感情が
取り巻く存在なので
あまり語りたくない分野だ。
でも言いたいことは
どんな母だったとしても
母が好きな気持ちは40年以上経っても
変わらない。
どんなに無下な対応をされても
母を忘れたことはない。
苦しんで泣いて喚いて別々に暮らしてた
時の会社帰りの遅い時間に夫に
延々と聞いてもらったり。
ネガティブな感情に取り憑かれた
自分へ相手してくれる夫は
心底面倒見がいいと思う。
そんな母がパーキンソン病に罹った。
転んで傷だらけになって
救急車で運ばれた母は入院して
脳に血液が漏れて危険な状態だと
言われたのが
3年くらい前。
すっかり元気になって
リハビリに励む母の話を聞くことが
増えていたのが懐かしい。
老い
元気になったのは束の間で
体調が悪いことが頻繁になってきた。
お腹の調子が悪い。
鼻の調子が悪い。
喘息が出た。
頻繁にこむら返りした。
頻尿で困る。
熱中症になった。
脱水症状になった。
お年寄りになると
小さな子供と同じようなくらい
身体が弱くなるんだな。
電話をする度に
弱って体調不良の話を聞く。
ちょっと距離を置いてた母に
久しぶりに電話してみようとかけた。
母は声が元気なく
吐き気がすると言う。
吐き気がして薬をもらって飲んでいたけど
薬を飲み切った途端にまた吐き気が
始まったんだそうだ。
それ以外にも相変わらず
人への批判、悪口などを言い出した。
心が嫌だ!!と叫んだ瞬間だった。
いくら母でも
人への批判や悪口などの話は聞きたくない。
やはり、母とは近寄れない存在なのかな。
と思いながら
じゃがいもの皮を剥いた。
夢中で玉ねぎを炒めた。
モヤモヤする感情が渦巻いた時は
夢中になれることをするのは有効的だ。
捉え方次第
母がいくらネガティブなことを
言っても
自分がプラスに捉えていければ
問題ないんじゃないか。
でも一々ネガティブな発言を
プラスに変換するにはエネルギーが要るし
そんな努力が必要あるのだろうか。
母の存在は
関わりたいけど
一緒にいると自分がダメになってしまう
から離れてるくらいが
ちょうど良い。
母なりに自分のことを
思ってくれていることもたくさんある。
生きるのが下手な母の子供である
自分だから
自分も生きるのが下手なのは
当然かもしれない。
然しながら
自分の生きづらさを子供達に
伝染する訳にはいかない。
自分で負の連鎖を止めるんだ。
どんなに母が
自己中心的であっても
他人の心に寄り添う器がなくても
自分は同じようにはならないって
決めたんだから。
最後に
自分の家族、子供達や夫といると
本当に平和だ。
こんな平和な世界があるなんて
子供だった頃の自分には想像もつかなかった。
思い遣って
助け合って
悪口とか言わずに
温かい。
子供の頃からの傷ついた心の傷が
少しずつ少しずつほぐれていく。
夫『よくその環境で今のいっぱちになったよね。』
壮絶な自分の子供時代からの母の話を知る夫は
言う。
母をずっと反面教師にして
生きてきて。
だから今があるのかな。
そんな反面教師にしてきたほどの母なのに
やっぱり母は母なのだ。
そんな母にしがみつく自分は
傷つきに自分から向かって行ってたと
言っても過言ではないかもしれない。
母とは距離を置いた方が
今の自分にはホッとする。
自分の快・不快の感情に気づけるように
なって良かった。
この調子で自分を大切にしていこう。
嫌なことを嫌と認めて
遠ざけることができるように
なったかも。
自分は一緒にいて心地良いと思って
もらえる母になりたい。
関わりたいと思ってもらえる
母になりたい。
いつまでも
一生母は反面教師な存在かもしれない。
そこそこ
コツコツやろう。
そこそこ
できることをやろう。