『型破りな教室』子どもを本気にする教師・ポテンシアル・理想と現実のはざま
同僚から2つの映画を紹介されました。
1つ目は『型破りな教室』
2つ目は『小学校〜それは小さな社会〜』
上映時間の都合で,「型破りな教室」を観に行きました。
あらすじはホームページに載ってるし,映画である以上,あまりネタバレしないように感想を書きたいと思います。(映画自体あまり見ませんし,評論なんてできません。感想も稚拙です)
★感想
この映画は,私にとってすごくリアルでした。理科の教員であることだけでなく,昔バックパッカーで旅して見た世界,学校という大きな組織の事情,子どもたちの背景など。全てが現実的で「先生,子どもたちすごい!!」って感心する場面や,「うわ〜,それあるわ〜」ってやり,きれない気持ちになる場面がありました。
理科の授業がカリキュラム(教科書)に沿うのではなく,きっかけとなる「問い」をフアレス先生が与え,そこから子どもたちが問いを広げていく。積極的な小学生の姿勢は羨ましいものです。でもその姿勢を作ったのもフアレス先生でした。君たちは「必要なものは君たち一人ひとりが持っている。それはポテンシアル(可能性)だ」と言ってましたね。偉大な哲学者と同じ考えをすると褒めて乗せるのも上手。
総合的な探究の時間だったらさておき,普通の理科の授業でカリキュラムを無視するのは今の私としては憧れであり,同時に1年間保つのだろうか・・・という不安と恐怖があります。また,これはいわゆる"探究型の授業"で,"アクティブラーニング"だというのも現役教師が見れば誰でも分かりますが,アクティブラーニングには教養とスキルと姿勢が必要です。フアレス先生がわからないことがあれば,一緒に調べようと図書館に行ったり,子どもが提案したアイデアで実験したり,次の授業までに生徒の質問の答えを調べてメモを渡したり。ティーチャーであり,ファシリテーターであり,ジェネレーターでした。こういう先生は魅力的だなって再確認。
一方,学校は規則が厳しく,柔軟性が無いように描かれています。印象的だったのは朝の全校集会の場面で
「静粛は〇〇を作り,〇〇があれば規律が生まれ,規律があれば△△が・・・□□があれば成績が上がる」
みたいな,故ノムさんバリの名言がありました。以下に,このシーンで思い出したノムさん名言を載せておきますが,これとは真逆の,徹底的に生徒を管理するような名言でした。(正確に覚えてないので,誰か覚えている人いたら教えて下さい)
私の経験ではここまで真正面から生徒に言うことはありませんが,学校が管理する構造を作っていることは否めません。"成績"もよっぽど気をつけないと,管理ツールに成り変わります。フワレス先生は「成績なんて全員に10あげるよ」って冒頭の授業で言うてますしね。(メキシコは10段階評価なのね。日本も10の地域もあると聞いたことあります)
子どもたちが生き生きしてきて「夢」を語るようになるのですが,夢と現実の対比も描かれています。ここでも思い出すのが
このnoteは当時話題になりましたが,"村から出る必要はない"という旨を親や周囲から言われるのは今の日本でも同じ。(特に女性に対して??)
そして,最近出会った平岡慎也さんからも似たようなお話を伺ったことを思い出しました。具体的な言葉はあえて出しませんが,"外の世界"に飛び出ることの重要性をおっしゃっていたことも思い出しました。
家のルール,村のルール,学校のルール,コミュニティのルールと,まぁ現実も明文化されたものから暗黙のルールまで色々ありますよね。しかも怖いのが,自分は世界中旅行して,いろんな世界を見て,いろんな常識を見てきた!!って自負していても,"見えないルール"に縛られてることって普通にあるし。俺の脳みそっていい加減やなぁ。
またいつもの通りダラダラ書きましたが,ラストの感想は,スペイン語が聞けて心が躍ったってこと。南米の旅で培ったサバイバルスペイン語ですが,響きがめっちゃ可愛いのです。小さい,少ないことを"ポコ","ポキート"って言います。初めて覚えたスペイン語は"セルベッサ"=ビール!!。what ?を「ケ?」って言うんですよ!!あと,シエンプレ・マスメノス・コモテヤマ・ソイ・ティエネとか,そんなところも没入した理由でしょうね。
"リアル"な世界で奮闘する教師のものがたり(フィクションらしい)です。教員のみなさんは見て損はしないと思います。教師ってすごーーーい仕事だなぁって思いました。(人ごとではアカンぞ!俺。)
私はこんな浅い感想しか言語化できませんが,誰かと話したら他にも色々気づくと思います。(得意の他力本願)