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母親だからって、子どもを愛せるとは限らない
毒親ってなんだろう。
親子だったら、自然に愛しさを感じられるものなのだろうか。
わたしは愛されない側だったけど、愛せない側のつらさを知った話。
忘れられない話
20代の頃。
勤務先に、穏やかで物腰柔らかだけど、芯が通った強さを感じる先輩(男)がいた。
手先が器用で知識が豊富な先輩は、みんなから頼りにされていた。もちろん、わたしも尊敬していたひとりだ。
ある日、先輩とふたりで仕事をする機会があり、そのときの話が今でも忘れられない。
突然のカミングアウト
「うちの嫁がさ、長男と合わないっていうんだよね。」
と、なんの前触れもなく、突然こぼした。
職場で、毒親育ちを隠していたわたしは、ひどく動揺した。
『え、隠してたつもりだったけど、毒親育ちがバレてた…?これは、お前、毒親育ちだろってジャブか??いやいや、被害妄想だ。落ち着け自分。でも、なんでわたしに言う!???そこまで親しくないですよね…?』
いつも通りの顔を作りながら、心の中はさまざまな想いが駆け巡っていた。
『あ、うちの親、毒親ってやつなんですよね。母なんて、わたしのこと幼少期から嫌いって感じだったし、親子でも合わないってこともあるんじゃないですかね?旦那さんにカミングアウトしてるってことは、奥さんのSOSだと思いますよ。』
というセリフが、喉まで出かかって、「いやいや、これじゃあ、奥さんって毒親ですよねって言ってるように聞こえるじゃん!」というセルフツッコミが入り、グッと飲み込んだ。
え。
こういうとき、なんて言えばいいの?
自惚れたわたしの回答
時間にしたら、数秒だったと思う。
でも、とても長い時間に感じた。
何も言わないって選択肢もあったと思うのだけど、なんとなく、奥さんからのSOSを振り解いてはいけない気がして、言葉を絞り出した。
「子ども目線で申し訳ないんですけど。わたし、あんまり親と合わないなぁって思っていて、親子でも相性悪いってあるんじゃないですか?でも、奥さんがカミングアウトして、先輩に相談して前に進もうとしてるのって、純粋にすごいと思います。わたしは、そう思えませんでした。」
数秒で出せた回答は、これだった。
そっかぁ。そうだよなぁ、人間だしな。うちの嫁、前に進もうとして頑張ってるよな。
わたしは、きっとこんな言葉を期待していた。
自分のちっぽけな言葉が、誰かを救えるんじゃないか。胸の内を教えてくれた先輩には、きっとわたしの言葉が響くんじゃないか。
…今思えば、ただの自惚れだ。
話した時点で、先輩なりの答えはあったんだと思う。
親が子どもを嫌うなんてありえない
「子ども側が嫌うのはいいんだよ。でも、親側から合わないなんていうなんて絶対ダメだ。自分の子どもだよ?合わないなんて思うなんておかしいよ。」
先輩は、とても冷たく言い放った。
わたしは、もう言葉が出なかった。
奥さんからのSOSの叫びを目の前にしながら、差し出された手を握られなかったような気がした。
なんて思ったけど、わたしは奥さんがどんな人なのかも知らない。
ただの自惚れだ。
一方で、パートナーの叫びを汲み取らない先輩に対して、無性に腹が立った。固定概念ガチガチ野郎め!お母さん性善説か!?と思ったけど、わたしも毒親育ちじゃなかったら、同じように考えていたのだろうか。
はて。
わたしはなぜ、子どもを愛せない人側の肩を持ったのだろうか。
自分が愛されなくて傷ついてきたのに、不思議だ。
今でも考え続ける
今でも、あのときの答えが出せない。
先輩はオブラートに包んで話していたけど、奥さんは長男だけ愛せないようだった。
母親になったからといって、子どもを100%愛せるのだろうか?
自分の親だと「お前が産んだんだろがい。最後まで愛せよ。」って思うんだけど、他人だと「まぁ、そういうこともあるかもしれん。」と思う自分がいるわけで。
母親になったら、全員が母性溢れるお母さんになるなんて、幻想。でも、母に愛されない悲しみも分かるから、幻想に縋りつきたくなる自分もいる。
結局、わたしはどこまでいってもブレブレ。
奥さんの肩を持つことで、ヒーローにでもなった気になっていたのだろうか。
奥さんの肩を持つくせに、母を許せない当時のわたしはチグハグだった。
愛せないこともまたつらいのだ
先輩の奥さんが、自分なりの答えを出して、長男くんと向き合えていたらいいなと思う。
きっと先輩に相談できるくらい冷静だから、自分の本音はひた隠しにして、長男くんと向き合う聡明な人なのかなと勝手に想像している。
わたしの母は、聡明という感じではなかったけれど、それでもどこか、先輩の奥さんは、母の姿と重なる。(先輩の奥さんに失礼だったら、すみません)
母を責める感情を抱いていたとき、角度を変えると、先輩の奥さんの姿がチラついた。全部が全部、母が悪いのだろうか。
愛されない側もつらいけど、愛せない側のつらさも見せてもらった出来事だった。
母親なら、子どもを100%愛せるのだろうか?
それとも、「母親だからこそ」難しいこともあるのだろうか?
いつかまた、自分なりの答えが見つかったら綴ってみようと思う。