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環境と余白が、心を軽くする。
わたしの日常は、全く映えなくて、とにかく平凡。
でも、こんな生活が好きだよ。アイラブミー。
昔は、こんな生活に焦燥感が強くて「何者かにならないと…」と自分を追い込んでいた。
環境と余白の力のおかげで、少しずつ心が落ち着いてきたんだと思う。
幸せって、大小さまざま
悲しいかな。
映えなさすぎて、最近、書けることがあんまりないのですが。笑
幸せをしみじみ感じられるのは、心の在り方が大きく変わったからだと思います。
幸せって、自分の近くにゴロゴロ転がっている。
でも、大きな幸せだけじゃなくて、小さなカケラまで気づくには、自分自身の受け入れ態勢が整ってないと難しいなぁと感じます。
幸せを受け止められる心を育てる
今と昔で大きく違うことは、幸せをまっすぐ受け止められる心に整っていることだと思う。
心を整えるって、すごく抽象的な言葉ですね。
自分でも言語化するのが難しいですが、トラウマを少しずつ克服して、自分の考え方を上書きしたりしたり捨てたりして、不用意に自分を責めない心。
背伸びしすぎないけど、自分を低く見積りすぎるわけでもない。ただ、ゆらゆら漂うように存在してる心。
自分にムチ打たない心。
人は人、自分は自分。自分のままで幸せになっていいと許可している心。
現時点で、わたしはそんなイメージ。
とはいえ、まだママ友や仕事関係の方と話しをするとアワアワして、無理やりムチ打って、ズーンってなることも多い不完全な心ですが。笑
それでも、自分が安心できる環境では、クラゲみたいに漂うような心で生きています。
「環境」と「余白」が心を変えた
心の在り方を大きく変えるのに重要だったのは、
不安を感じない環境で
時間の余白をもつ
という2点でした。もちろん価値観にもよるので、全員に当てはまるわけではないと思います。
また、場合によっては、カウンセリングなどプロの対応が必要かもしれませんが、わたしは専門知識がないので、割愛します。
さっきの2点をわたしの具体例に当てはめると。
心許せる家族がいる自宅で
自分でスケジュール配分ができる業務委託で
お金の心配がない仕事をしながら
罪悪感を感じず、ぼんやりする
心の限界値が近いときは、仕事を休む
といった感じです。
順番が大事。
この順番を間違えると、かつてのわたしのように「とにかく休もう!」と先に余白を作りすぎて、逆に不安が増すこともある。
間違えた「余白の作り方」で苦しんだ20代
20代のころ。
不安を感じない環境がないまま、「時間の余白を持つ」だけを先に実行して、盛大に病みました。
簡単にいうと、仕事も辞めて、人間関係を全部切って、一人暮らしなのに引きこもり生活をしたら、逆に心が死んだ。
不安を制御できる考え方がないままひとりになったら、ネガティブの闇に沈んでいったのだと思います。
人間なんか嫌いだと思っての行動だったのですが(厨二病っぽいですが、結構本気)、ひとりぼっちになって、「あ、ひとりで生きていくって無理だわ。小さくていいから、社会の歯車のひとつになりたい。」と、強く感じました。
みるみる減っていく貯金やお金の不安も、心を蝕む原因でしたね。
今でも「仕事辞めてダラダラしたいぜぇ…」って思う自分もいるんだけど、ボランティアでも何でもいいから社会とつながっていることが、わたしの心の健康には必要なのかな?と思ってます。
仕事は、社会とつながるためのツールだった
仕事するって、簡単に社会とつながれるツールだと思う。特に趣味も情熱もお金もないわたしにとっては、ありがたいツールだった。
働けば対価ももらえるし、自分に合っている仕事なら楽しさを感じることもあるし、自信がつくこともある。
合わない仕事で心がすり減っているなら、さっさとやめた方がいい。実際、わたしもフルタイム正社員は無理だった。
自分に合った形で社会とつながることが、心の健康には必要なんじゃないかと思う。仕事をするって、その選択肢のひとつ。
わたしがやってるWebライターとかデザイン、ハンドメイド、有料note、物販などなど、仕事の形って豊富にあると思う。
大変なときもあるし、めんどくさいときもあるけどさ。どんな形であれ、仕事は自分を支えるものにもなると思う。だから、無理なく続けられる形を探していけたらいいよね。
あぁ、でも、目の前に大金があったら「いえーい!いざ、FIRE!」って、すぐ仕事辞めちゃいそう。典型的なダメなパターンか?笑
とはいえ、答えはひとつだけじゃないし、今日も楽しくのんびり生きていきましょう。
それでは、また。