20210606【165】ウエディングは突然に
こんにちは!ioriです。
僕は2006年の7月に結婚しました。それまで1年間同棲をしていた彼女とです。当時僕は35歳将来的な人生プランなどをほとんど考えず過ごしてきました。彼女は僕より4つ上で当時39歳。
交際、同棲をしていた1年間も自由気ままな僕でしたので、今思えばいろいろと迷惑を掛けたなと反省しています。
そんな1年間を過ごし、初めて彼女の実家に行く機会がありました。いい歳をした大人になっていたのに緊張してましたね。でもその機会が相手の親御様に対しての結婚報告の日になりました。
本当に気がつけば・・・
その流れになっていたという感じです。勿論お互いに異論はなかったのですが「結婚を決断する時ってこんな感じやねんな?」とその淡白さだけは今でも脳裏に強く残っています。
決めてしまえばそこからの僕たちの行動は極めて早かったです。まずは会場探しから始めました。令和の今ならもうそんなことはこだわらない方が多いように見受けられますが当時は「仏滅」は避ける。「大安吉日」が理想などが代々と受け継がれてきたころでした。
①一生に一度の事だから盛大に取り行いたい
②身内だけで派手にせず、その後の生活後にお金を残したい
③両家の親族だけで新婚旅行を兼ねて海外で挙式
だいたいこの3つに分かれると思いますが、僕たちは①を選択しました。
40歳が見えてきている年齢に差し掛かっていた僕らにとっては賢明な判断だったのではないかと思います。とは言え予算的にもあまり余裕がある状態ではありませんでしたのでいろいろと調べた結果、レストランウェディングを選びました。理由はいろいろありましたが、大方の予想として「料理が美味しい」という根拠なきものでしたが、すでに飲食業に携わっていた僕にとっては大事なポイントでした。
京都、鴨川のほとりにある由緒ある旅館をイノベーションした会場を選びました。「THE RIVER ORIENTAL]
もう今はなくなりましたが京都らしい風情を十分に感じ取れる会場でした。ここを選んだ辺りから個人的には彼女とお越しいただいた方が楽しい1日を過ごしてくれればいいなと思うようになりました。それほど非日常感が味わえる場所でしたので。
建物内、最上階にチャペルもあり京都独特の川床も広く当日は雨天も心配しましたが、晴天に恵まれ本当にいい空間と美味しい料理、お祝いしてくれた皆さん、笑いと涙いろんなことが凝縮された1日でした。
ただ、その当日の僕は無職だったんです。遡ること数か月前にその時働いていた飲食店で上司とどうしても反りが合わず退職を選びました。その頃のタイミングといえば式場を決めてからの準備期間に入っていました。いちからやり直しをする前でしたので一安心でした。
たしか新郎新婦で計90人ぐらいの招待をしました。
普通なら親族、会社、友人という構成でテーブル分けになるのですが、僕の方は親族、友人という何か穴が開いたような構成でした。(笑)今考えればおかしいですけどね。
その他で言えば、披露宴中の音楽は僕が決めることになっていたので新郎新婦の入場にヴァン・ヘイレンの「JUMP」をぶち込む!それ以外の要所、要所で80~90年代洋楽を派手に流す。
当初、彼女が和装、洋装のお色直しが決定事項でした。良かったら新婦さまもいかがですかのお誘いに人生初の紋付き袴を着ることになるが普通を好まなかった僕はパッションピンクの紋付き袴を着て爆笑を誘う羽目になる。
乾杯の音頭も普通なら職場の上司が取り行うのが当たり前だったにもかかわらず、無職だった僕は後輩に頼むという無茶ぶり!後輩もド緊張で噛み倒す。
二次会、三次会ならまだしも?列席者のテーブルを廻る際に飲み会のノリになりめちゃくちゃお酒を呑まされる。
気がつけば挙式後、披露宴、二次会、三次会、さらに続き帰宅したのは朝でしたね。
何の前触れもなく、突然訪れた彼女の実家、結婚報告からの慌ただしい準備期間3か月・・・そして迎えた当日。
全ての事が突然過ぎましたが・・・
15年経った今でも色褪せることなく良い思い出として強く残ってます。
今日は、ここまで!