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【角をまがれば】 vol.1

2021年9月23日。天気予報どおり暑くなり、雨は予報よりもずっと遅れて22時過ぎから降り始めている。この日は22回目の祖母の命日で、梅の葉やハーブなど庭の草花(雑草もあり)を活けておはぎをお供え。大好きだった祖母の臨終に立ち会い、あれ以来、1年で最も大切な1日になった。9月になるとその日のために気持ちを整え、空を見上げることが多くなる。
そして当日、家のことだけれどもよく働き、のびのび過ごした、良い一日だったと思う。

これまで何度も「こうなりたい」「こうしたい」という気持ちになったことがある。10年近く前に上の子を妊娠した時は「生活を見直そう、身体にも未来にもいい暮らしを」と思い、洗濯洗剤を「海へ…」に変えたし、簡単に作っていた麦茶をびわの葉茶にし、冷えや生理不順をようやく見直そうと五本指ソックスと重ねばきを導入したり。できるところから始めて、それらはずっと続いている。でも何か変わったかと問われてもよくわからない。

5年前、住み慣れた札幌から、親戚も友人もいない帯広へ家族4人で移住。人生初の硬派な仕事も始めた。そして今年2月、家族で古い一軒家に引越して、小さいながらも庭を畑にし、階段の昇り降りと泥遊びに興じる子供たちを眺めていてもなぜだか気持ちがしっくり来ない。

環境の変化に心がついてきていなかったのだとわかったのは、ここ数日。理解するまでに5年もかかってしまったのだけれど、気づいたらすごくシンプルで涙が出そうだった。「こうありたい」という場所は角をまがればすぐそこにあったのに、まがることばかり考えて、その先の景色を想像するだけで、実はまがっていなかったのだ。

先日、図書館で借りた本のなかに、かわしまようこさんの『ありのまま生きる』がある。その方のことを知らなかったけれど、表紙の「雑草が教えてくれた、いのちがよろこぶ生き方」の言葉に強く引かれ、連れ帰る。それが祖母の命日の4日前のことで、その日の午前中は照りつける太陽の下、洗濯物を2度干した。

次の日は月曜で祝日。朝から夕方まで休憩をはさみながら黙々と庭の手入れをする。好きな雑草を残しながら草刈りをし、ハーブを移動させ、歩く道の目印代わりに土を掘り起こした。枯れている葉を摘み、掘り返した土に埋め、数年前に種から発芽したヒョロヒョロのりんごの木の根元には刈った草をマルチとして敷き詰める。夕方になって腰をあげ、見渡した庭は愛すべき場所になっていた。時間がかかったわりには、もちろん雑だったし改善の余地はありすぎるほどだが、この庭をやっと好きになった瞬間だった。

夏のあいだ、ししとうもトマトもねぎも、ローズマリーもパクチーも、なんならホップだって食卓に届けてくれた庭だけど「自分がどうしたいのか」をあまり考えなかったので「手つかずのままの雑草」を良しとしながらもいまいち仲良くなっていなかった。植物の世話も、緑の手を持つ夫になんとなく任せきりだった。コンポストは楽しかったけれど。

で、草刈り。自分で感じるままに少し庭の手入れをする半日のうちに、「春夏秋と、この庭にどんな草花が咲くのかを知りたくてそのままにしていた」ことを思い出した。そしてかわしまさんの本を読みながら「あ!スベリヒユって食べれるの?昨日刈り取って埋めちゃったよ」と呟きながらも、そこに綴られる生き方や考え方があまりにしっくり、音が鳴るとしたら「すぅぅ」という感じで身体に沁み渡り、自分が考えるのを止めてしまうほどには「変わらなくちゃ」と頑張り、心が疲れていたことを知る。ザラザラとしたものがあったのだ。

そうこうする数日のうちに、庭には「部屋に飾れる草木と、ハーブと薬草のような雑草たちと、野菜の花」があればいいとわかった。わかるとすごい。ここ6年ほど焦がれていたドクダミに出会えたし、この春から気になっていた見ず知らずのお宅のシンボルツリーの名前が「ジューンベリー」だと、当の家の子どもに教えてもらえたのだ。気前もよく利発そうなその子は、なんと上の子と同級生。

もう昨日のことになってしまったけれど、祖母の命日を迎える頃には、すっかり角をまがっていたように思う。たぶん、角をまがったから「わかった」のだと感じる。でも、角をまがろうと決心したわけではなかった。私の尊敬する大好きな友人たちに共通するのが「自然とともにある」暮らし方であることや、他を否定せず「まずは受け止めている」ことを考えると、今回のことは土と草花がくれたきっかけだったのじゃないだろうか。

私にとって変化とは、山を登るでも、扉を開けるでも、どこからか飛び降りるでもなく、毎日歩いて見えている同じ景色の中にある「角をまがる」ことだ。まがった先にどんな風景があるかはわからないけれど、きっと道も空も続いている。性格的に「あの角をまがろう」と肩に力を入れるよりは、「素敵な垣根を眺めているうちに角をまがっていた」タイプの自分を受け入れられたから、あとは好きな、いい景色の中に自分を置くことだと思う。
頭でっかちになって指も心も動けなくなっていたのが嘘みたいに、やっと言葉が出てきた。その日が9月23日であることはとても意味があり、幸せで、ありがたいこと。

おばあちゃん。長くかかったけど、やっと角をまがりました。元気ですか。

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