ファンサービスをしない監督 落合博満は野球ファンに何を与えたのか 第41章
第41章 情を捨て、理知を貫いた選手起用がもたらした栄光
これは、荒木雅博が落合に、使う選手と使わない選手をどう測っているか尋ねたときの答えだ。
落合が監督時代の8年間、掲げ続けた中日のスローガンは『ROAD TO VICTORY』。何があっても、一切変えようとしなかった。
情より理知。
リーグ優勝という栄光への道を歩むために、戦力として必要かどうか。それだけを基準に、選手を起用し続けたのだ。
学校や職場を見れば分かると思うが、教師や上司は、好き嫌いや親密さという感情で判断しがちだ。
私の中学生時代、一部の女子生徒を贔屓にする中年男性教師がいた。私は、真面目に授業を受け、テストで最高点を取ったにも関わらず、成績表は10段階で8だった。
つまり、10と9は、その男性教師が贔屓にする女子生徒たちに与えたのだ。
私は、それ以来、大人や他人を信用しなくなった。他人の人生を大きく左右する立場にある者でも、多かれ少なかれ、公平な基準で判断できないことを知ったからだ。
職場においても、上司へのお世辞だけが上手なイエスマンや、仕事はできないが色気がある美人、というだけで、重職に就いている者たちを見てきた。
実力に基づく数値と基準で正確に判断できる者は、どの世界でもほとんどいないのだ。
落合が目指そうとしたのは、そんなほとんどいない指導者だった。
そして、それを8年間貫いたとき、常勝という結果が残った。
しかし、そのために選手の大きな衰えを許さなかった。
立浪和義、アレックス・オチョア、野口茂樹、ドミンゴ・グスマン、落合英二、岡本真也、タイロン・ウッズ、中村紀洋、李炳圭、井上一樹、井端弘和。落合の合格ラインを下回った選手たちは、容赦なくレギュラーはく奪、放出、配置転換を強いられた。
過去にともに優勝を喜び合った選手たちに、事前の説明もなく断行する采配に、冷徹とのレッテルも貼られた。
冒頭の荒木への発言を読んだとき、私は、巨人を退団したときの落合を思い出していた。
1996年オフ、巨人は、西武の四番打者清原和博を獲得した。守備位置は落合と一塁手で被る。
巨人の長嶋茂雄監督が示した起用法は、レギュラーが清原、控えが落合だった。
そこで落合は、退団を選択した。長嶋監督が落合をレギュラーとして必要としないなら、レギュラーとして起用してくれる球団へ移籍する。
憧れの長嶋の下でなら控えでも我慢して野球をする、という情での選択をしなかった。
そして、落合獲得に手を挙げたヤクルトの野村克也が情に訴えかけて来たのに対し、落合は、シビアに金額と契約年数を見極め、日本ハムを選んだ。
落合は、一切の情に揺るがされることなく、理ですべてを判断し、金額と契約年数という動かしがたい数値で判断を下したのだ。
落合は、選手時代から監督時代を通じて、常に合理的な思考を貫いたのだ。
私の脳裏には、夏目漱石の『草枕』の一節が浮かんできた。
意味を解釈していくと、落合が貫いたものと捨てたものが見えてくる。
落合は、自らを理解できない他人から非難されることを厭わず、自分の足をすくわれないよう、理知で貫き通した。
それは、極めて高度な技術と体力を要する特殊なプロフェッショナル集団『プロ野球チーム』だからこそ成し得た結果である。
玉石混交の一般企業では、なかなか受け入れられないやり方だ。
きっとその中で、圧倒的に高度な集団を形成しようとしたとき、落合のやり方が必要となる。
ぶれない物差しで判定し、情に流されず、結果を残す。
それは、極めて難しい。
落合は、そんな模倣が不可能に近い監督であったからこそ、退任10年を過ぎても、こうして多くの人々を魅了するのだろう。