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夏といえば『日本のいちばん長い日』
岡本喜八監督「日本のいちばん長い日」(1967)という映画がある。
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1945年8月14日から8月15日、つまり日本がポツダム宣言を受諾し玉音放送がラジオで流れた1日間を描いたものだ。
前半は、主に昭和天皇や鈴木総理大臣、阿南陸軍大臣らがどのようにして終戦を決めたかが中心に描かれ、後半は「宮城事件」と呼ばれる、陸軍の青年将校らによるクーデター未遂事件の顛末から玉音放送が実際に流れるまでが焦点になる。
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すこぶるつきのおもしろい映画であるうえ、ところどころに「あの戦争がどういうものであったか」について考えさせられる描写があり、自分は毎年、終戦記念日が近づくと見返すようにしている。また、「シン・ゴジラ」の下敷きになった作品でもある。
この作品には、半藤一利による同名の原作(1965)がある。執筆当時、文藝春秋の編集者であった半藤は、文藝春秋の記事として関係者による座談会「日本のいちばん長い日」を実施。その後、取材を重ね、単行本にまとめたそうだ。
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最近、原作を手に取る機会があり、しっかり読んでみた。まず感じたのは、映画が思ったよりも原作に忠実であるということだ。この話は登場人物が多く、しかも同時進行でいろいろなことが起きる。映画版を観たときは、時系列や人間関係を上手に整理し、テンポ良く場面を切り替えていく手つきに感心したのだが、そもそも原作がそういう作品であることがよくわかった。
両者の違いは、作り手の視点である。映画版はテンポの良さが、ある種のドライさにつながっている。クーデター首謀者の畑中中佐や、陸軍の責任を背負って自刃する阿南陸相など、登場人物はみな日本の行く末を考えて信念をまっとうするのだが、彼らのことも突き放して描写しているように感じる。歴史的な転換点だったあの1日を、いまの視点から諦念を込めて俯瞰的に描いているのだ。
一方、原作は文体がエモーショナルで心理描写も多い。映画版と比べて登場人物ひとりひとりに寄り添っている。歴史を描いているのはもちろんであるが、それ以上に歴史の中であがく人間を描こうとしているのだ。
これは岡本喜八と半藤一利の資質の違いであるとともに、原作の成立過程が影響しているではないだろうか。原作の元になったのは、文藝春秋の座談会である。これ自体を読んでいないんで想像でしかないのだが、座談会はその形式上、参加者の人間性が立つように構成しなければならない。5時間に及ぶ座談会をまとめる過程で、彼らひとり一人の人間性にふれたことが、原作の心理描写や文体につながっているのではないだろうか(※)。
最近(2022年7月)、本作は星野之宣によってマンガ化された。話の視点が、原作とも映画とも違うと聞く。こちらも是非読んでみよう。