学ぶ場を奪う大人たち
こんばんは。
この写真は大学4年の最後の試合で
骨折したときの写真です
今日は体験学習をテーマにして
〜学ぶ場を奪う大人たち〜
について考えを書いていきます。
話が一瞬それますが私の父親は教員をやっています。私が教員を目指したきっかけの1人であり、尊敬する1人です。
本題になります。
そんな父親とよくお酒を飲みます。
今日飲みながらこれからの教育について話をしました。(よく父とは熱いことを話します)
私たちは小学校の頃に飯盒炊飯とキャンプファイアをやったと思います。
父親から
「今の小学生は飯盒炊飯もキャンプファイアもやらせない親が増えてる」
と聞きました。
理由は、包丁で指切る怪我をさせたくない、火で危ない思いをさせたくないとの親がいるからです。
教育現場に携わるものとしては
日本のこの状態が本当に怖いです。
まずその価値観で育った子達って
包丁や火を使えない大人になると思います。
将来彼らが家庭を持つとします。
キャンプをする、家でご飯作るってなったとき
子供に
「パパ料理もできないの?」
「キャンプの仕方知らないのー?」
と言われるたら間違いなく恥を描くでしょう。
また今やジャングルジムやうんてい、組体操も禁止や撤去の環境になっています。
理由は怪我をさせたくないから。
安全を確保するから。
怪我をしてまでやる必要がないから。
本当にそうなのかな?
彼らが大怪我になりうる危険事態に遭遇したらどうなる?
間違いなく回避できない。
人間、経験することによって学習し、物事に対処できるものです。
包丁で指切ることなく料理できた人
火を経験しないで日常の場面で火を使えるようになる人は絶対いない。
もし本当に危険な状態に遭遇して何とかしたいなら、
その事態になる前の人生で、ある程度危険な思い、痛い思いをしないといけないと思います。
①一時の痛み回避のために色々なことを避けること。
②本当に危険なことを回避するために、痛い思いしてでも経験をつけること。
どちらが本当に子供たちに必要なのか、本当に子供のことを大切に思うなら、もっと長いスパンで考えるべきではないのか?
危険なことをやらせないでなくて
危険なことをやる際に大人ができる最善の策をとってあげるこれが大事だと思います。
これができれば、多少の痛みを伴ったとしても、命を奪われる心配はほとんどないのかなと思います。
今大人がやらせようとしていることは
バスケをしたことない人に試合で50点とってこい
勉強してないのに東大に行けといってるのと変わらないと思います。
人は自分が嫌な経験をしたとき初めてみにつきます。
痛い思いとか失敗とかをマイナスのものだかという捉えで子供から奪うのではなく、それを必要とするレベルのを与えてあげてほしい。
自分が近い将来親になったら
子供に色んなことをさせたい。
怪我も経験させてたいし、包丁で指切るのも、何でも経験させようと思います。
少なくとも自分の親は、今あげたことを全部経験させてくれたし、自分はそれを経験して良かったとおもうので。
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